飾磨区
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この項目では、姫路市の地域区分について説明しています。その他の用法については「飾磨 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

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飾磨区
しかま
日本
地方近畿地方
都道府県兵庫県
自治体姫路市
旧自治体飾磨市
世帯数25,472世帯
総人口61,816人( ⇒住民基本台帳、2010年9月30日現在)
隣接地区市内:姫路市中心部、広畑区、白浜町
市外:
姫路市役所飾磨支所
北緯34度47分52.45秒 東経134度40分12.45秒 / 北緯34.7979028度 東経134.6701250度 / 34.7979028; 134.6701250座標: 北緯34度47分52.45秒 東経134度40分12.45秒 / 北緯34.7979028度 東経134.6701250度 / 34.7979028; 134.6701250
所在地〒672-8064
兵庫県姫路市飾磨区細江385番地2
リンク ⇒飾磨支所公式ページ
飾磨区
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飾磨(しかま)は、姫路市南部の地区。

狭義では山陽電鉄飾磨駅周辺を指すが、広域地名「飾磨区」をも指し、その範囲は市川東岸の妻鹿地区も含むかなり広大なものである。地元で単に「飾磨」と言った場合には狭義の飾磨を指すことが多く、妻鹿地区や英賀地区は通常「飾磨」とは認識されない(以下、「飾磨」は区中心部を指す表現として用い、広域地名「飾磨区」については「飾磨区」と記す。姫路市の「区」については、姫路市の「区」を参照のこと)。

飾磨は姫路市南部における中心地的役割を持つ。臨海部に山陽特殊製鋼などの大規模工場が並び、播磨臨海工業地帯の有力な一角だったが、近年第二次産業面では衰退し、イオンモール姫路リバーシティーなどの大規模小売店舗で巻き返しを図っている。また播磨灘に面する姫路港(飾磨港)は小豆島家島諸島への連絡口であり、特定重要港湾に指定されている。 旧飾磨街道(飾磨駅南側界隈) 奥を山陽電鉄が横切る
目次

1 地理

2 地名の由来

3 歴史

4 飾磨区内の公共施設

4.1 警察署

4.2 郵便局

4.3 市関係

4.4 教育


5 社寺

6 その他

7 交通

7.1 鉄道

7.2 バス

7.3 道路

7.4 港湾


8 飾磨区に本社を置く企業

9 ショッピングセンター

10 町丁

10.1 妻鹿(市川東岸)

10.2 東部・北部

10.3 中心部

10.4 西部

10.5 英賀


11 外部リンク

地理 野田川 奥の工場は山陽特殊製鋼

飾磨区は市川下流西岸と夢前川下流東岸に挟まれた一帯で、周縁の一部を除いては平坦である。姫路市街を貫いてきた船場川が、飾磨西部を南流する(イオンモール姫路リバーシティーの名は船場川に因む)。また飾磨区中東部には野田川(上流部は外堀川/三左衛門堀)が、やはり南流して姫路港へ注ぐ。

夢前川を挟んで西側で広畑区と向き合うが、飾磨区北縁や飾磨区東縁では非区部との境目が曖昧である。

飾磨区中心部を国道250号(浜国道)が東西に走り、また北方の姫路市中心部などから駅南大路兵庫県道62号姫路港線(産業道路)など数本の道路が南下してくるが、飾磨中心部は昔ながらの狭い道が錯綜する街並となっている。南方は播磨灘に面するが、海岸線のほぼ全てが工場地帯であり、海に面しているとの感じはあまりしない。

飾磨区北縁部には姫路バイパス姫路南ランプ及び市川ランプがある。

地名の由来

この地名があらわれたのはかなり古く、『播磨国風土記』にも「飾磨郡」の名が見える。地名の由来は「鹿が居て啼いたため」とされている。

現在「飾磨」の地名は山陽電鉄飾磨駅周辺、あるいはせいぜい飾磨区に用いられる程度だが、古来より続く飾磨郡は姫路一帯のかなり広い地域を占めていた。廃藩置県で大小の県が統廃合を繰り返していた頃には、姫路を中心とした「飾磨県」が、1871年(明治4年)11月から1876年(明治9年)8月に兵庫県へ統合されるまで存在していた。また後述のように、1940年(昭和15年)から1946年(昭和21年)まで単独の「飾磨市」も存在した。

飾磨周辺に、鹿に因む地名は他にもある。飾磨沖の家島諸島に属する男鹿島は、飾磨付近に住んでいた雄雌の鹿の内、牡鹿が泳いで来たとの伝承がある。また、本土の飾磨区側の妻鹿も残された牝鹿によるとされる。
歴史

英賀地区には
四国からやって来た三木一族が、英賀城を中心に勢力を張っていた。治めていた範囲は加古川西岸から室津までで、一時は「英賀千軒」と称されるほどの繁栄を見たとも言われるが、1580年天正8年)4月に豊臣秀吉の軍勢に攻め落とされた。現在も英賀宮町2丁目に城址が残る。

土砂の累積により船の出入りが困難となったため、1846年(弘化3年)に藤田祐右衛門惟昌が私費を投じ、港の中核となる湛保地区を築いた。この工事は、排水のため水車四千台を使用したという難工事であった。また、播磨灘から吹いてくる烈風を防ぐため、港の四囲に数千本の松苗を植えつける作業も同時に行った(現在も飾磨港内に祐右衛門の記念碑が存在する)。

明治時代に入ると、飾磨の臨海部では多くの近代工場が建設された。特に敷島紡績(現・シキボウ。1913年操業開始)、福島紡績などの紡績業、及び山陽特殊製鋼(1929年操業開始)、合同製鐵(1934年操業開始)などの製鋼業が立地し、加えてマッチの生産も盛んとなり、飾磨は工業の街として栄えることとなった。また、生野鉱山より産出された銀の積み出し港として、フランス人技術者らにより生野街道とともに整備される。

飾磨は1940年(昭和15年)に市制施行して飾磨市となったが、終戦間もない1946年(昭和21年)3月、進駐軍の方針もあって姫路市と合併することとなった(ラモート合併)。

飾磨区内の公共施設
警察署 飾磨警察署

飾磨警察署

郵便局 姫路南郵便局

姫路南郵便局

姫路妻鹿郵便局

姫路恵美酒郵便局

姫路下野田郵便局

飾磨清水郵便局

姫路細江郵便局

姫路今在家郵便局

姫路津田郵便局

飾磨英賀郵便局

英賀保駅前郵便局

姫路南局はかつて「飾磨郵便局」と称したが、旧広畑局及び旧網干局の集配事務を引き継ぐ形で移転・改称した。
市関係

姫路市役所飾磨支所


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