飯泉嘉門
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日本政治家飯泉 嘉門いいずみ かもん
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1960-07-29) 1960年7月29日(63歳)[1]
出生地 日本 大阪府池田市
出身校東京大学法学部卒業[1]
前職国家公務員自治省[1]
徳島県県民環境部長[1]
徳島県商工労働部長[1]
所属政党無所属
称号法学士(東京大学・1984年
公式サイト飯泉嘉門後援会
第16 - 20代 徳島県知事(公選)
当選回数5回
在任期間2003年5月18日 - 2023年5月17日
その他の職歴
第13代 全国知事会会長
2019年9月3日[2] - 2021年9月2日[2]
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飯泉 嘉門(いいずみ かもん、1960年昭和35年〉7月29日 - )は、日本政治家自治官僚

徳島県知事(公選第16 - 20代)、全国知事会会長(第13代)、自然エネルギー協議会会長、全国港湾知事協議会副会長、 新しい日本をつくる国民会議知事・市町村長連合会議構成員、日本創生のための将来世代応援知事同盟構成員、関西広域連合広域医療担当委員、地方公共団体情報システム機構代表者会議議長などを歴任[1]
来歴

大阪府池田市出身。帝塚山学院中等部灘高等学校東京大学法学部卒業。

1984年(昭和59年)4月に旧自治省に入省。新潟県総務部地方課で112市町村の行財政を担当[3]1986年(昭和61年)、大臣官房総務課[4]。その後は山梨県埼玉県、旧郵政省、徳島県に出向。徳島県商工労働部長、同県民環境部長を歴任。
徳島県知事に就任2020年、「国と地方の協議の場」での飯泉

徳島県は元々、自由民主党の地盤であった。それまでの知事は1947年(昭和22年)に社会党の阿部五郎が一期つとめたほかは、保守系の候補が当選してきた。だが、吉野川可動堰問題の是非を問う住民投票が徳島市で行われてから、保守系は失点を重ねる。2001年には圓藤寿穂が3選を果たすが、無名の社民党県議だった大田正に3万票差まで詰め寄られている。その半年後、圓藤の汚職による辞任に伴う2002年(平成14年)の県知事選では、住民運動を母体とする勝手連県民ネットワークが擁立し、野党の推薦・支援を受けて立候補した大田が圓藤の批判票を集める形で当選した。非保守系の大田が知事になったことで圧倒的に保守系の議員が多い県議会との対立は決定的となった。

翌2003年(平成15年)3月31日、徳島県議会は、大田に対する不信任決議案を可決。不信任決議可決に伴って同年5月18日に行われた知事選では、大田が民主党・自由党・日本共産党・社民党の推薦を受けて立候補。飯泉は自由民主党・保守新党の推薦を受けて立候補した。田中康夫の不信任に伴う長野県知事選で田中が大差で当選して間もないこともあって注目されたが、徳島では飯泉が初当選し、革新系の徳島県政はわずか1年で幕を閉じることとなった。

2007年4月8日投開票の徳島県知事選挙も引き続き立候補し、自民公明推薦(公明は、前回の県本部推薦から党本部推薦に切り替えた)を受け再選を果たした。前回大田を推薦した民主社民は候補を擁立できず、共産は公認候補者を擁立したが、他党は自主投票に回った。但し、既に民主党は飯泉の提案する議案にはすべて賛成しており、事実上自民公明と連立状態だった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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