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飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2013年10月14日)は、日本の詩人、小説家、翻訳家。日本芸術院会員、元明治大学法学部教授。長男は建築評論家の飯島洋一。 岡山市生まれ。旧制第六高等学校時代、シュペルヴィエルに傾倒。1946年、初めて買った詩集は村上菊一郎訳の『惡の華』だった。翌1947年12月に初めて日本の詩人の書いた詩集、朔太郎の『青猫』を買った。1948年10月、創元選書の大岡昇平編『中原中也詩集』を買ったが、ここにはソネットや、四行四連の「定型詩」が多かった。 1949年に東京大学文学部仏文学科入学、1952年同大学を卒業[1]。在学中、栗田勇らと『カイエ』を創刊する一方、1950 - 51年と鈴木信太郎の講義に出て、ヴィヨンの『大遺言詩』、マラルメのソネット、ヴァレリーの『若きパルク』の演習を受ける。1953年、第一詩集『他人の空』を刊行する[1]。1955年、大岡信らとシュルレアリスム研究会を作り[1]、極端な反・定型詩であるトリスタン・ツァラやフーゴ・バルのダダの詩を知った。詩誌『鰐』、『櫂』などに参加。 1956年國學院大學講師、1969年同大学教授、1973年から2000年明治大学法学部のフランス語教授を務めた。この間、翻訳、評論、小説も手がけ、1980年頃からシュールレアリスムを離れ、近世の俳諧、江戸文芸などに関心を持ち始めた。 1974年、『ゴヤのファースト・ネームは』で高見順賞[1]、1978年、『飯島耕一詩集』で藤村記念歴程賞、1983年、『夜を夢想する小太陽の独言』で現代詩人賞[1]、1996年、小説『暗殺百美人』でBunkamuraドゥマゴ文学賞(選考委員・中村真一郎)[1]、2005年、『アメリカ』で読売文学賞、詩歌文学館賞を受賞[1]。
略歴