.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(ハートマーク)が含まれています(詳細)。
いいじま なおこ
飯島 直子
生年月日 (1968-02-29) 1968年2月29日(56歳)
出身地 日本
神奈川県横浜市港北区
身長166 cm
血液型A型
職業タレント、女優
ジャンルテレビドラマ、映画、舞台
活動期間1988年 -
配偶者前田亘輝(1997年 - 2001年)
非著名人(2012年 - 2020年)
事務所ハート・レイ
公式サイトHeart Ray Co.LTD. 飯島直子プロフィール
受賞
ゴールデン・アロー賞
1996年 芸能賞エランドール賞
1997年 新人賞受賞歴参照
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いいじま なおこ
飯島 直子プロフィール
愛称なおちゃん
直子姉さん
生年月日1968年2月29日
現年齢56歳
出身地神奈川県横浜市港北区
血液型A
公称サイズ([1]時点)
身長 / 体重166 cm / ― kg
靴のサイズ24 cm
単位系換算
身長 / 体重5′ 5″ / ― lb
活動
デビュー1988年
ジャンルタレント
モデル内容キャンペーンガール
他の活動女優
モデル: テンプレート - カテゴリ
飯島 直子(英: Naoko Iijima, いいじま なおこ、1968年2月29日 - )は、日本のタレント、女優。東京都生まれ[2]。神奈川県横浜市港北区育ち[3]。ハート・レイ所属。 家族は両親と姉[4]。父親は厳格な人だったと自身で述べている[5]。1983年3月に横浜市立日吉台中学校を、1986年3月に大東学園高等学校を卒業。母が美容師だった影響を姉と共に受け、子供のころから母の店の手伝いをしており、高校在学中に通信教育で美容師資格を取る準備を開始。卒業と同時にインターン生として社会に出た。しかし、実店舗であまりに何もできない自分にショックを受け、挫折しあきらめる[5]。 芸能活動のきっかけは、16歳の時にアルバイト先の渋谷の喫茶店でスカウトされ、モデルクラブに入ったのが発端となった。雑誌のモデル業を少しずつ行っていたが[3]、当初は芸能界入りを目指す気持ちはなかった。美容師を目指し挫折した後で、自身の身長が周囲に比べて少し高めだったため、それを生かせる道として「カネボウの水着キャンペーングランプリで優勝する」ことを目標に設定し[6]、企業や審査員がキャンペーンガールに求めていることは何か、どういう広告戦略があるのかなどを調査し、真面目に考え始めたという[3]。 1988年、日本テレビ系深夜番組『11PM』のカバーガールで芸能界デビュー。翌1989年には小谷ゆみ、山岸真璃子らを含む全8人でガールズユニット「イレックス」を結成。 1989年、オートバイ全日本ロードレースに参戦するSchick ADVANTAGE SUZUKIのレースクイーン(三瀬真美子とペア)に起用され、目標としていたカネボウ水着キャンペーンガールに選ばれる(カネボウでの活動は主に1990年)。1990年、キリンビール、宇部興産のキャンペーンガールも務めた。翌1991年にはキグナスF3000チーム(ステラインターナショナル)のレースクイーンに選ばれ、三菱カーエアコン キャンペーンガールとしても活動した。この頃、セミヌード写真集『NAOの方舟』を出版。 1991年、所属事務所を音楽制作プロダクションビーイング系列のオフィスフットワークへ移籍。テレビドラマ『マスカット・ムーン』で女優としてデビュー。年末には映画にも出演。また、日本テレビ深夜帯の新番組『DAISUKI!』の増田一穂プロデューサーに抜擢されレギュラー出演が始まると、天然の言動や当時まだ少なかった街歩きの番組スタイルで注目を集め始め、深夜帯にもかかわらず最高視聴率14.7%を記録する人気を獲得した[3]。増田Pは飯島について「彼女は自然体なのが良いと言われますが、いま人気が得られたのは何が求められているのかを常に考え、絶え間ない努力あってのものです。何もしないで視聴者にとって自然体に映るなんて人はいません。」と評している[7]。 1992年10月からバラエティ番組『スーパーJOCKEY』のレギュラーになり、「熱湯コマーシャル」のサブ進行を務める。同年、当時同じ事務所「オフィスフットワークス」所属だった網浜直子とデュオユニット「W-NAO」を結成、歌手としてシングルをリリースし、7月にはアルバムとビデオもリリース。
来歴