飯島延浩
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いいじま のぶひろ飯島 延浩
2015年11月20日東京都にて
生誕 (1941-07-28) 1941年7月28日(79歳)
千葉県市川市
国籍 日本
出身校一橋大学経済学部卒業
ロンドンサウスバンク大学卒業
職業山崎製パン社長
飯島藤十郎
親戚飯島一郎叔父

飯島 延浩(いいじま のぶひろ、1941年7月28日 - )は、日本実業家山崎製パン株式会社代表取締役社長(第3代)として、同社を売上高1000億円台から、1兆円規模の食品コンツェルンに成長させた。

一般社団法人日本パン工業会会長を、20年以上務めている他、株式会社東ハト代表取締役会長、株式会社不二家取締役相談役ヤマザキナビスコ株式会社会長、株式会社デイリーヤマザキ会長などを歴任した。目次

1 来歴

2 親族

3 著書

4 出典

来歴 2015年11月20日アメリカ合衆国農産物貿易の殿堂顕彰式にて農務長官トマス・ジェイムズ・ヴィルサック(左)、日本駐箚特命全権大使キャロライン・ケネディ(右)と

千葉県市川市生まれ。都立両国高等学校を経て[1]、1964年3月一橋大学経済学部卒業。1964年4月山崎製パンに入社[2]。1966年ボロー・ポリテクニック(現ロンドン・サウス・バンク大学)卒業。1993年ロンドン・サウス・バンク大学名誉理学博士[3][4]

1970年山崎製パン取締役、79年1月常務、79年3月代表取締役社長[5]。94年4月ヴィ・ド・フランス・ヤマザキ会長兼務、99年3月ヤマザキナビスコ会長兼務、06年3月デイリーヤマザキ会長兼務、06年7月東ハト代表取締役会長兼務。2016年ヤマザキビスケット取締役会長兼務[6]。この間、96年から日本パン工業会会長を連続12期在任[7][8]

1000億円台にすぎなかった山崎パンの売り上げを、社長在任中に急増させ、連結売上高1兆円規模の食品コンツェルンに拡大させた。救済型M&A東ハト不二家子会社[5][9][10][11]

現在食品業界トップにあり、不二家問題でもその動向が注目され、衛生管理など業務支援に乗り出し、2007年6月不二家取締役相談役就任。2008年不二家を山崎製パンの子会社化する。その他、飯島記念食品科学振興財団評議員会会長、国際開発救援財団理事長、国際NGO団体『ワールド・ビジョン』の日本支部である『ワールド・ビジョン・ジャパン』の副理事長などを勤める[4]

日本ホーリネス教団に所属するキリスト教徒である[12]
親族

飯島藤十郎 山崎製パン創業者・初代社長

母 飯島和 元山崎製パン名誉顧問、元スーパーヤマザキ社長

長男 飯島幹雄 山崎製パン専務取締役、元東ハト社長

二男 飯島佐知彦 山崎製パン常務取締役、元スーパーヤマザキ社長


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