いいづか しょうぞう
飯塚 昭三
プロフィール
本名飯塚 昭三(いいづか しょうぞう)[1][2]
愛称昭ちゃん[3][2]
性別男性
出生地 日本・東京府(現・東京都)
出身地 日本・福島県磐城市(現・いわき市)
生年月日 (1933-05-23) 1933年5月23日
没年月日 (2023-02-15) 2023年2月15日(89歳没)
血液型O型[2][4]
職業声優、俳優、ナレーター[5]
事務所シグマ・セブン(最終所属)[6]
配偶者あり
公式サイト飯塚昭三 - 株式会社シグマ・セブン
飯塚 昭三(いいづか しょうぞう、1933年〈昭和8年〉5月23日[4][8][9] - 2023年〈令和5年〉2月15日[10])は、日本の声優、俳優、ナレーター[5]。シグマ・セブン最終所属[6]。 東京府(現・東京都)で誕生し、小学生時代に母親の実家がある福島県磐城市(現・いわき市)に疎開し、高校卒業まで過ごす[11]。仕事の表現者は嫌いであり、小学校から柔道、野球をしていたことから、当時は演劇には興味がなかった[12]。 福島県立磐城高等学校在学中の高校1年の時に恩賜上野動物園に、象のはな子が到着していたこともあり、先輩に「俺が後ろ足をやるから、お前、前足をやりなよ」と誘われて、仮装行列の出し物で象の足の役を演じて芝居を始める[8][12]。そのときの先輩が、のちに演劇部を結成して誘われて入部する[12]。 最初の演劇では女の子役であり、母が「これ、付けたら?」と毛糸の髪の毛も見つけてきた衣裳を着ていた[12]。6つか7つセリフがあるうち、本番では2つか3つしか言えず、悔しかった[12]。それで、次の演劇の『法律の轍』では、法律家役を演じていたが、その時はしっかりセリフも言えて演じ切った[12]。その後は「芝居が面白い」と思うようになり、結局、負けず嫌いで始まった[12]。 それまでは演劇の「え」の字も無知だったが、先輩に聞いて色々な本を読むようになった[12]。台本も読み、色々な芝居をしていくうちに、高校3年生の時には先輩から引き継いで部長になった[12]。その時に木下順二の『夕鶴』で与ひょう役を演じ、福島県の演劇コンクールで2位を獲得[12]。女子高との合同公演であり、あの頃は、映画を観るにも「男は木曜日で女は金曜日」というように男女別の時代だったことから、演劇でも男が女役を演じ、男だけでしていた[12]。しかし「そんなのおかしい」と女子高の教師に許可をもらい、男女合同での演劇を実現させたという[12]。 芝居をしていくうちに、「演劇を専門で勉強したい」と思うようになり、日本大学芸術学部演劇学科[13]に進学[12]。当時は母は新聞記者にさせたがっており、父も他の学校に入るのを希望していた[12]。しかし飯塚は同大学は内緒で受けて、他の学校はわざと失敗といい、実力が足りなかったとも語っていた[12]。在学中に劇団を結成して、日本各地で演劇を上演する[8]。大学卒業後も、仲間と劇団を組んで公演を行っていた[14]。当時は劇団仲間たちと一緒に「マスコミに通用するプロダクションを作りたい」と思うようになったという[14]。しかし個人では作っていいのかも分からず、そんなお金もなく、仲間5人で劇団若草でスタッフとしても就職していた[14]。 テレビ局を担当するからマネージャーになり、テレビ局を回る仕事をし、必要なノウハウを3?4年で学び、劇団若草を退社[14]。学んでいたノウハウを活かし、独立後は、劇団チャイムや劇団アポロなどの5つくらいプロダクションを結成[14]。 プロダクションのマネージャーをしていた時に、ある撮影で「役者の隣に座ってくれ」と言われた[14]。そのまま出演していたところ「出てくれてありがとう」とお金をもらった[14]。ギャラを渡されることを体験して、「役者っていいな、役者やろうかな」と少し考えるようになったという[14]。 洋画の吹き替えに出演したことがきっかけで、声優としても活動するようになった[8][14]。 東映での最初の仕事は、『好き! すき!! 魔女先生』のクモンデス役[14]。この役がきっかけで、その後も怪獣、悪役、敵役を演じるようになった[14]。その次が、『超人バロム・1』のドルゲ役だった[14]。6か月間、病気により声がまったく出なくなったため[15]、特撮「メタルヒーローシリーズ」第1作『宇宙刑事ギャバン』のドン・ホラー役を第10話で降板して半年間の休養後、アニメ『愛の戦士レインボーマン』の帝王ドンゴロス役で復帰する[16]。
経歴
生い立ち
声優デビュー後