食習慣
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Wikipedia Academyでの食事風景(スウェーデン、2008年) フランス中世の農夫の食事風景(15世紀 幼児の食事風景

食事(しょくじ)とは、基本的には生命維持に必要な栄養素を摂取するために、日々習慣的に何かを食べること[1]、そこから転じて、その時食べるものを指すこともある[1]。「衣食住」の「食」にあたる。口語では「御飯(ごはん)」と呼ばれる。目次

1 概説

2 各国の食事

3 回数

4 食生活の変化

5 宗教と食事

6 脚注

7 関連項目

概説

生命維持に欠かせない必須の栄養素を摂取するために食べ物を食べる行為を指すが、そのためだけではなく、「自身の家族や仲間と一緒の時間を和やかにすごすため」「『分かち合い』を実感・共有するため」「料理を作ってくれた人のを実感するため」「を楽しむため」など様々な目的や意味を込めつつ、ヒトは食事をする。洋の東西を問わず、食事の席に誰かを招待するのは、「歓迎」の意味がある。自ら調理した料理(手料理)を食べてもらうということは、親しい関係につながる。

食事の時刻、回数、食事の種類、調理法、食べ方には、文化宗教、個人的な好みや栄養学に基づく知識も反映される。日々の暮らしの中でも、食事に関する事柄全般を指して「食生活」と呼ばれる。

なお、「食事」という言葉は、会席料理においては、「止め肴」のあとに続いて、「止め椀」や「香の物」とともに出される御飯物を指す場合がある。

また、「食事は、栄養を補給することだけが目的ではなく、心をうるおすためのものでもあります。食事が えさにならないよう、味わって食べる習慣をつけましょう」[2]と戒めている人物もいる。
各国の食事

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中国においては、文化、世界観、家族観が反映されている[3][要説明]。

中近東では、一族が部屋の床に円を描くようにして座し、自分たちの文化に基づいた作法で食事をする。宗教的な意味が込められている場合もある。

フランスでは、約7割の家庭が家族と一緒に夕食を摂る。「家族と一緒に夕食の時間を過ごすのは大切」と考えられており、夕食時には家庭に戻る。
回数

西洋では、1800年ごろまで1日2食であったという[4]

食事の回数自体には固執せず、「空腹を感じたら食べる」ようにする場合もある。
日本

20世紀前半、国立栄養研究所での実験と、栄養学に基づく研究から、「1日3食」が推奨された[5]。それまでは「1日2食」であり、それぞれ「朝餉」と「夕餉」と呼んだ[5]

フランシスコ・ザビエル1549年頃に書いた報告書には「日本人は1日に食事を3回する」とある[6]戦国期当時、戦場では1日3食であった。30日間までは、食料は自己負担だが、30日を過ぎて長期戦となると、軍=大名からの支給制へと移り、1日の消費量は、1人につき6合分(約900グラム)支給されていた[7]。一回の食事につき、米2合分(約300グラム)ということになる(米だけで1日の摂取エネルギーが3204kcalにもなり、も支給されていた)。夜戦の際には増配された[7]

江戸時代に庶民が1日3食を取るようになったのは元禄年間(17世紀末)からとされる[8]。牢中の囚人に対する食事の回数は身分によって違い、江戸市中小伝馬町牢屋敷では、庶民は朝夕の2回に対し、武士は朝昼夕の3回で、罪人であっても地位によって待遇に差があった[9]。17世紀の日本において1日3食が広まった理由として、「照明が明るくなった町の商舗経営の長時間化が刺激になった」とも考えられており[10]、身分・職種(力士)によっては2食が残った[11]。庶民3食化のきっかけについては、「明暦の大火(17世紀中頃)後の復旧工事に駆り出された職人に昼食を出したところ、広まった」ともいわれている[12]。他にも1日3食を記録した例として、幕末忍藩下級藩士が記した絵日記である『石城日記』があり、朝昼夕とその日に食した内容が細かく記述されている(日付によっては、3食とも茶漬けとある)。なお『石城日記』では昼食を「午飯」と記している。

農家においては農繁期になると、1日の食事が4 - 5回に増える(後述書 p.37.)。一例として、昭和期の埼玉県秩父地方では、朝飯前の「茶がし」、次いで「朝飯」、午前10時に「四つ飯」、「昼飯」、午後3時のお茶を「こじゅうはん」(オチャゾッペエ・ニハチとも)、「ようめし」、夜なべの後の「夜食」といった具合に、3食以上となっており、3度の食事は「ご飯、または、おまんま」と呼んで区別している(倉林正次 『11日本の民俗 埼玉』 第一法規 1972年 p.37.)。

現代では、朝食昼食夕食、計3回食事を摂る習慣が一般的となっている。昼間に活動し、夜間は眠るという通常の生活サイクルに合わせたものであるが、夜食を摂る場合や、朝食や昼食の間、昼食から夕食の間に間食を摂る場合もある。
食生活の変化

食生活は、地域や民族を問わず、所得の増加によって以下の四段階のパターンをたどる[13]、ともされる。
第1段階
主食から、雑穀イモ類が減り、小麦トウモロコシの摂取量が増える
第2段階
主食が減り、野菜といった副食が増える
第3段階
副食の中でも、動物性タンパク質の割合がさらに増加する。また、アルコールの摂取量も増える
第4段階
食事を簡単にすませようとし、レトルト食品外食が増える。また、伝統的な食事を見直したり、高級化する動きも見られる

なお、食生活の段階が進むにつれて、穀物の消費量が加速度的に増えた。肉の消費を増やすには、食肉にする際、家畜に食べさせるための飼料として、穀物が消費される[14]
宗教と食事 レオナルド・ダ・ヴィンチによる『最後の晩餐』。イエスが弟子たちとともに食事をとる様子を描いた ユダヤ人青年らの安息日における食事の一風景 食事をとる前に祈る少女(1936年)

宗教と食事・食生活には大きなかかわりがある例のひとつとして、キリスト教における聖餐がある。これは新約聖書に「イエスが十字架に架けられる前に、弟子たちと食事し、自分の記念としてこの食事を行うよう命じた」との記述による。キリスト教徒はこの儀式を行うことで「そこにキリストが確かに現存している」という信仰を保持している。

宗教によっては、特定の食品を食べることを禁じたり、調理法についても厳格な定めがある場合もある。「食のタブー」も参照
ユダヤ教

ユダヤ教では、旧約聖書に食べてよいもの、食べていけないもの、一緒に食べてはいけないものの組み合わせ、動物の屠り方、調理法に関する規定が細かく記述されており、ユダヤ教のこの食物規定を「カシュルート」や「コーシェル」と呼ぶ(ユダヤ教もいくつもの教派に分かれている。


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