飛鳥II
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飛鳥II
神戸にて(2006年9月)
基本情報
船種クルーズ船
船籍 日本
所有者クリスタル・クルーズ (1990年?2006年)
郵船クルーズ (2006年-)[1]
運用者クリスタル・クルーズ (1990年?2006年)
郵船クルーズ (2006年-)[1]
建造所三菱重工業長崎造船所
(建造番号: 2100)[1][2]
母港バハマナッソー (1990年?2006年)日本・横浜 (2006年-)
信号符字7JBI
IMO番号8806204[1]
MMSI番号432545000
改名クリスタル・ハーモニー (1990年-2006年)
飛鳥II (2006年-)
経歴
起工1989年4月14日[3]
進水1989年9月30日[3]
竣工1990年6月21日[3]
就航1990年7月
現況就航中
要目
総トン数50,142トン(2006-2020)[4]
50,444トン(2020-)[5]
載貨重量8,642トン[1]
長さ241 m[4]
幅29.6 m[4]
喫水7.8 m[4]
デッキ数8層[6]
主機関MAN製ディーゼルエンジン4基
32,800 kW[7]
速力21ノット[4]
旅客定員872人[4]
乗組員約470人(2006-2020)[4]
約490人(2020-)[5]
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左舷後方(横浜港出港)名古屋港ガーデン埠頭3号に接岸中の飛鳥II

飛鳥II(あすかツー)は、日本郵船の関係会社である郵船クルーズが所有・運航している外航クルーズ客船2006年2月に売却された「飛鳥」の後継船にあたる。

1990年6月、同じく日本郵船の関連会社[注 1]であるクリスタル・クルーズのクルーズ客船「クリスタル・ハーモニー(Crystal Harmony)」(バハマ船籍)として三菱重工業長崎造船所で竣工した。その後2006年1月、郵船クルーズが本船を買い取り日本市場向けの改装を施し、2月末よりの習熟航海を兼ねた日本各地でのお披露目を経て、3月17日に正式デビューした。

日本籍では最大の客船である。
飛鳥II 誕生の経緯

1991年10月に就航した「飛鳥」は、1990年代中盤より順調にその集客を伸ばし、21世紀に入る頃には、特に夏場のハイシーズンにおいては満船の状態が続くようになり、「予約が取れない」と乗船希望客の不満が募るようになった。

運営する側としてもこれはビジネスチャンスを逃していることに他ならず、キャパシティの増大が必須となり、第二船の投入や、より大型の新造船の建造等が検討されたが、結果として、同じ日本郵船グループのクリスタルクルーズ社が運航する「クリスタル・ハーモニー」を日本向けに改装し「飛鳥II」として代替投入、これに伴い「飛鳥」は売船されることとなった[8]

これは当時、「クリスタル・セレニティ」の投入(2003年6月就航)により、3隻体制となったクリスタルクルーズ社の集客が伸び悩んでおり、減船(=日本郵船グループ内の船腹交換、飛鳥の売船)により体制を整えるという目的もあった[注 2]

日本郵船の草刈会長と郵船クルーズの松平社長は、第二船の投入については「現状、そこまでの市場の広がりがない」とし、また新造船の投入を見送った理由については、折からの海運好況で「船価が高止まりしていること」、ならびに「造船所の船台が相当先まで埋まっており、その間お客様をお待たせしてしまうことになる、ビジネスチャンスを逸する」旨、述べている。
横浜船籍横浜港大さん橋に停泊中の飛鳥II

「飛鳥II」の船籍港は横浜港であり、郵船クルーズの本社所在地は横浜市である。

横浜港大桟橋改築が完成し2000年代に入ってクルーズ客船の寄港数が増加基調に入った。しかし横浜港を船籍港とする客船が無くなって久しくなっており、横浜港の再活性化には港の象徴的存在となる横浜港船籍船が求められた。また横浜港と歴史的に繋がりの深い海運業界との関係深化も必要とされた。飛鳥IIの就航に当たり、当時の横浜市長中田宏が自ら日本郵船に同船を横浜籍とするよう依頼し、郵船側も「旧『飛鳥』の発着港の多くが横浜港であること」や「横浜港日本郵船が歴史的にも深い繋がりを持つこと」[9] 等を理由にこれを受諾、2005年10月5日に合意・発表に至ったものである[10][11][12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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