飛鳥井家
銀杏
本姓藤原北家花山院流難波家庶流
家祖飛鳥井雅経
種別公家(羽林家)
華族(伯爵)
出身地山城国
主な根拠地山城国
著名な人物飛鳥井雅経
飛鳥井雅世
飛鳥井雅親
飛鳥井家(あすかいけ)は、藤原北家師実流(花山院家)の一つである難波家の庶流である。家格は羽林家。
目次
1 歴史
2 系譜
3 参考文献
3.1 系譜参考
4 関連項目
鎌倉時代前期、難波頼経の子雅経に始まる。代々和歌・蹴鞠の師範を家業とした。頼経の父難波頼輔は本朝における蹴鞠一道の長とも称された蹴鞠の名手であったが、孫の飛鳥井雅経も蹴鞠に秀で、飛鳥井流の祖となった。鎌倉幕府2代将軍源頼家も蹴鞠を愛好して雅経を厚遇し、一方で雅経は後鳥羽上皇に近侍し藤原定家などとともに『新古今和歌集』を撰進し、和歌と蹴鞠の師範の家としての基礎を築いた。 応仁の乱で、一族が近江国や、長州に移住し、家業を広めた。
歴史
戦国時代から江戸時代初期にかけての当主であった飛鳥井雅庸は、徳川家康から蹴鞠道家元としての地位を認められた。江戸時代の家禄は概ね928石であった。幕末の飛鳥井雅典は武家伝奏をつとめている。
明治維新の後、飛鳥井雅望の時伯爵に列せられた。また、明治維新に伴い、邸宅は東京に移転したが、それに伴い空き地となった邸宅跡に創建されたのが白峯神宮である。飛鳥井家が蹴鞠の師範だったこともあり、境内地に地主社として蹴鞠の守護神が祀られており、現在はサッカー・球技全般の神とされている。
系譜
実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。
教経教定2
兼教忠輔雅有3定有基長
雅綱経教雅顕雅孝4雅朝雅孝
教藤雅行雅家5経有雅教雅宗雅冬
教春教輔雅俊雅縁6雅冬
雅世7
(雅清)雅永
雅親8雅康
雅俊9土岐益豊頼孝
雅綱10雅量
雅春11尭慧覚澄虎熊丸
雅敦12松木宗房藤江雅良西洞院時慶鹿持雅春
雅庸13正知柳村安治
雅胤14雅章難波宗勝雅賢某惟恒
雅章15難波宗種雅房白川政平雅武惟政
雅知16難波宗量雅直雅豊難波宗尚惟則
雅直17雅君鹿持雅澄
雅豊18雅慶雅敬雅愛
雅香19[1]飛鳥井雅古
雅重20雅四
雅威21松木宗章紀三冬[2]雅仁雅義
雅光22河鰭実清雅之雅巳
雅久23滋岡功長[3]雅崇雅史
雅典24
雅望25藤枝雅之持明院基静恒麿大谷勝道下村忠三郎杉貞三
恒麿26雅脩
雅信27
雅道28雅慶
^ 西園寺致季の2男。
^ 日前神宮・國懸神宮宮司(74代紀伊国造)・紀慶俊の養嗣子。
^ 桑原忠長の子。大阪天満宮神主・滋岡長昌の養嗣子。
参考文献
『新訂増補国史大系・公卿補任 第1篇』吉川弘文館 黒板勝美(編)ISBN 4-642-00356-8