飛騨国分寺
本堂
所在地岐阜県高山市総和町1-83
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度8分36.06秒 東経137度15分13.3秒 / 北緯36.1433500度 東経137.253694度 / 36.1433500; 137.253694
飛騨国分寺(ひだこくぶんじ)は、岐阜県高山市にある高野山真言宗の寺院である。山号は医王山(医は旧字体「醫」が正式)。 741年(天平13年)、聖武天皇により国分寺建立の詔が発せられ、757年(天平勝宝9歳)頃、行基によって建立されたという。 819年(弘仁10年)、火災で焼失。855年(斉衡2年)ころ、再建される。 室町時代に本堂が再建されるが、詳しい時期は不明である。七重塔(現三重塔)に再建記録とほぼ同じと推測すると、応永年間に焼失後再建され、1585年(天正13年)、金森長近が姉小路頼綱の松倉城を攻めたさいの兵火で焼失する。この後、再建と考えられる。 1615年(元和元年)に三重塔が再建されるが、1791年(寛政3年)に暴風雨で倒壊。1820年(文政3年)再建されたのが現在の塔である。 1695年(元禄8年)、飛騨国が天領となり、高山城が取り壊され、一部は飛騨国分寺に移築され、鐘楼門などに利用される。
沿革
伽藍
山門
本堂
大師堂
庫裏
鐘楼堂(鐘門形式)
三重塔
不動堂
庚申堂
文化財
重要文化財(国指定)
本堂(室町中期)
木造薬師如来坐像(平安時代) - 一木彫成。像高145.7センチメートル。
木造聖観音菩薩立像(平安時代) - 伝飛騨国分尼寺本尊。像高204センチメートル。
太刀(小烏丸(こがらすまる)の太刀、伝高原諏訪城城主江馬氏家宝)
史跡(国指定)
飛騨国分寺塔跡(奈良時代) - 七重大塔の心礎(心柱の礎石)、上面に径1.3メートルの円柱座と舎利孔がある。
天然記念物(国指定)
飛騨国分寺の大イチョウ[1] - 推定樹齢1250年、幹周10メートル、高さ37メートルの大イチョウ。古来「乳イチョウ」と呼ぶ。
岐阜県指定重要文化財
木造阿弥陀如来坐像(鎌倉時代) - 伝恵心僧都作。
木造不動明王立像(鎌倉時代) - 護摩堂の秘仏。
三重塔(文政4年再建) - 高さ22メートル余。
高山市指定文化財
国分寺鐘楼門[2]
国分寺表門 附棟札[3]
その他の文化財
弁財天像(江戸時代、円空作)
所在地・アクセス
岐阜県高山市総和町1-83
東海旅客鉄道(JR東海)高山本線高山駅および高山濃飛バスセンターから徒歩5分
その他