飛行甲板(ひこうかんぱん、英語: flight deck)とは、艦船での航空機運用のための甲板のこと[注 1]。航空母艦にとって最も重要なものであり、黎明期の一部の艦を除いて艦首から艦尾まで通じた全通甲板となっている。強襲揚陸艦/ヘリコプター揚陸艦/ヘリ空母においても、全通形式の飛行甲板を有しているものがある。また、ヘリコプター運用のみを対象とする場合はヘリコプター甲板とも呼称されるが、アメリカ海軍や海上自衛隊においては「飛行甲板」と総称している。 最初期の飛行甲板は、発艦用と着艦用とが別々に登場した。1910年11月14日、アメリカ海軍の軽巡洋艦「バーミングハム」の艦首に仮設された25×7メートル大のプラットフォームから、ユージン・バートン・イーリーが操縦するカーチス モデルDが発艦し、世界初の航空機による発艦となった[注 2]。そして翌1911年1月18日、装甲巡洋艦「ペンシルベニア」の後甲板上に仮設された36×10メートル大のプラットフォームに、やはりイーリーが操縦するカーチス機が着艦し、洋上の艦船への世界初の着艦となった[2][1]。 イギリス海軍の「フューリアス」は、1917年の就役当初は船体前部にしか飛行甲板を持たず、着艦の際にはここに横方向から接近して着艦する方式を想定していた。しかし実験の際に飛行隊指揮官が殉職するなど危険性が高く、年末からの第一次改装の際に船体後部に着艦用甲板を設置した。そして同艦などの経験を踏まえ、翌1918年に竣工した「アーガス」において、艦の前後に全通した飛行甲板が採択され、以後の空母で標準的なレイアウトとなった[2][3]。 「アーガス」を含めて、最初期の空母では、艦橋構造物を廃止して昇降式の小型指揮所にとどめ、煙突も廃止して艦尾排気とした平甲板型も試みられたが、操艦や飛行甲板の指揮などの観点からは不利が指摘された。このことから、後には、小型艦では平甲板型とする一方、大型艦では、煙突や艦橋をまとめて舷側に寄せた上部構造物(アイランド)を設ける島型が常識となった。また小型艦でも、小さい艦橋構造物を飛行甲板の側方に設けるのが普通となった[3][注 3]。 1920年代のイギリス海軍(「フューリアス」・グローリアス級)や大日本帝国海軍(「赤城」・「加賀」)では、複数の飛行甲板を上下に積み重ねる多段式が試みられた。しかしこの方式では、実際には下部飛行甲板での航空機の運用は困難であり、また上部飛行甲板は長さが短くなって小型空母と同程度の性能まで低下してしまうという問題があり、実用性が低かった。アメリカやフランスは当初から広い一枚甲板を採用しており、後に航空機の大型化に伴って、イギリスや日本でも一段甲板に統一された[3]。 従来、飛行機は艦の中心線に沿って着艦していたが、着艦時に事故を生じた場合、飛行甲板前方にある停止機に衝突する危険があった。特にジェット機の配備が進むと、機の能力向上と比例して、この危険は著しく増大した。イギリス海軍は1948年よりこの問題への研究を開始しており、その解決策として斜め飛行甲板(アングルド・デッキ)が創案された[4]。 これは艦の後部から左舷に向けて着艦帯を斜めに設けるもので、着艦機が艦橋や停止・待機機と衝突する事故は回避でき、最悪の場合でもその1機だけの損失で済むようになった。またエレベーターや駐機スペースは着艦動線から外れた部分に設置されるため、飛行甲板作業も容易となり、カタパルトを増備すれば同時発艦機を増加させることもできる[4]。 まず1952年2月、イギリス海軍のコロッサス級空母「トライアンフ」にアングルド・デッキを模した塗装を施して実験を行ったのち、アメリカ海軍のエセックス級空母「アンティータム」を改装して本格的な運用が開始された。以後に建造された空母のうち、CATOBAR方式やSTOBAR方式のものは全てこの配置を採用しており、また英米両国では既存の空母の改装も実施した[4][5]。 一方、垂直着艦を行うSTOVL方式の軽空母では、特に必要性がないため、基本的にはアングルド・デッキは採用されない。ソ連海軍のキエフ級航空母艦では、VTOL・STOVL方式ながら飛行甲板を斜めに配置したが、これは艦橋の前部にミサイルや艦砲などの兵装を搭載したためで、発着を重視したアングルド・デッキとは意図が異なる[6]。 甲板上に浮かせた状態で数本張られたアレスティング・ワイヤーを、着艦する機体のアレスティング・フックで引っ掛けて、強力なブレーキ力を発生させる。制動機構としては油圧ブランジャー式が一般的だが、古い空母ではスプリング式を用いた例もあった[7]。なおアメリカ海軍のジェラルド・R・フォード級では、水とタービンを用いた制動機構 (Advanced Arresting Gear ワイヤーは着艦帯に対して横方向に張られるのが一般的だが、初期の英国空母では縦方向にワイヤーを張っていた[7]。黎明期には多数のワイヤーが張られていたが、アングルド・デッキ化によって着艦復行を行いやすくなったこともあって減少した。アメリカ海軍の場合、アングルド・デッキ化第一号のフォレスタル級では6索型だったが、後に4索型に変更した[9]。またこの4本のうち、最も艦首側のNo.4ワイヤが使われることはめったになく、保守整備の手間を削減するため、ニミッツ級「ロナルド・レーガン」からは3索型となった[8]。 またワイヤーでの制動に失敗し、着艦復行も困難な場合などの非常時に使う、機体全体を受け止めるバリケード(滑走制止装置)もある[7]。
レイアウトの変遷
全通飛行甲板の登場
「バーミングハム」からの初の発艦[注 2]
「ペンシルベニア」への初の着艦
「フューリアス」の艦橋構造物を挟んで設けられた飛行甲板
初の全通飛行甲板艦として竣工した「アーガス」
多段式飛行甲板の挫折
斜め飛行甲板の登場アングルド・デッキ
飛行甲板の特殊装置
着艦装置
制動装置アレスティング・ワイヤーを利用して着艦するMiG-29K詳細は「アレスティング・ギア」を参照
発艦装置
カタパルトカタパルトを使い発艦するスーパーホーネット(奥)、ジェット・ブラスト・ディフレクターが起立したスタートポイントで待機するスーパーホーネット(手前)詳細は「カタパルト」を参照