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出典検索?: "飛行機の歴史"
飛行機の歴史(ひこうきのれきし)について、大まかな発展の状況と各時代を象徴する機体について解説する。関連する項目については#関連項目のセクションを参照。
機体解説の凡例:
メーカー名 機種名
説明文
例:
ボーイング 747
初飛行xx年……
初飛行(1903年)飛行するライトフライヤー
アメリカのライト兄弟は、1903年12月17日に飛行機(動力を備えた重航空機)「ライトフライヤー号」による世界初の本格的な有人飛行を行った。この機体はただ飛んだだけではなく、下記の技術的特徴を備えていた[1]。 ライト兄弟以後、飛行機はより速くより高くより遠くへ飛べるよう改良が続けられた。また陸上の飛行場だけでなく、海面や軍艦の甲板からも発進できるようになっていった。この時代の機体構造はフライヤー号と同じく木製の骨組に羽布張りが主体だった。また操縦桿による操縦方法も現在と同じ方式に統一されていった。ブレリオ XI
右と左の主翼を逆方向にねじることにより左右の揚力バランスを変え機体を傾ける(バンクさせる)機構を備えた。現在では、飛行中に方向転換する際まずバンクさせるのが当然であるが、当時そのことを理解し実際の機体構造に操縦要素として導入したのはライト兄弟のみだった(この「翼ねじり」は後にエルロンに取って代わられる)。
自作の風洞で試験、選定した翼型を採用した。
馬力・重量比率の高いガソリンエンジンを採用(ただし、当時はそのようなエンジンが売られていなかったため、兄弟によって自作されている。その後彼らは飛行機メーカーではなく、エンジンメーカーとして名声を勝ち得ることになる)。
減速機構の採用。エンジンの回転はそのままでは速過ぎるので、プロペラが効率良く推力を発揮できる回転数まで減速した。しかし減速機構にローラーチェーンを使ったのは不適切であり、その後に採用された減速機は歯車式が主体である。
木製の骨組に羽布張りという軽量構造。
操縦者は腹ばいになっているため、操縦には左右の手を使った。即ち右の操縦桿でバンクと旋回を、左手の操縦桿で機首の上げ下げを行った。操縦桿の動きは金属製の操縦索によって各翼面や舵面に伝えられた(人力操舵)。
第一次世界大戦まで(1904年 - 1914年)
サントス・デュモン
1906年10月22日、ヨーロッパでは初となる動力機の飛行に成功した。このため暫くの間、デュモンが世界初と思われていた時代があった。その後ライト兄弟がヨーロッパで実演飛行を行い、その技術の高さを示している。
ブレリオ XI
1909年7月25日、世界で初めて英仏海峡を横断飛行したフランスの単葉機。操縦桿を前後に倒して機首の上げ下げを、左右に傾ければバンク操作を、また足元の棒を踏んで旋回を行うという、現代と同じ操縦方法を確立した。最大速度75 km/時。
アンリ・ファルマンIII
初飛行1909年、最大速度60 km/時。世界で初めて2名の乗客を乗せて飛んだフランスの複葉機。
1910年12月19日、徳川好敏大尉が日本で初めての動力飛行を行った際に使用された機体でもある。
カーチス モデルD(カーチス ゴールデンフライヤー)
初飛行1909年、最大速度72 km/時。少し小型の複葉のアメリカ機であるが、運動性が良く1910年、停泊中のアメリカ巡洋艦バーミングハムの艦首特設甲板から世界最初の離発艦を行い、翌年装甲巡洋艦ペンシルベニアの後甲板に仮設された飛行甲板に世界で初めての着艦を行った。この後海軍は軍艦からの航空機の運用に注力し航空母艦へと発展してゆく。
ドペルデュサン レーサー
初飛行1912年、最大速度209 km/時。速度記録を作るために製作された世界最初の機体。