飛田 茂雄(とびた しげお、1927年12月22日 - 2002年11月5日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家、中央大学名誉教授。日本ヘンリー・ミラー協会名誉会長。
東京都世田谷区出身[1]。1940年、主計将校だった父の転勤に伴って広島に転居。勤労動員先の陸軍被服支廠で被爆している[2]。1952年、青山学院大学英文科卒業[3]。1957年、早稲田大学大学院文学研究科近代英文学専攻博士課程修了(中退)[4]。1955年、青山学院大学助手、1957年に同専任講師、1960年同助教授[5]。1963年、小樽商科大学助教授、1969年に中央大学商学部教授、1993年に中央大学総合政策学部教授。
この間1976年4月から半年間カールトン大学客員研究員、1978年4月から1年間ノースカロライナ大学チャペルヒル校客員研究員を歴任[6]。日本ヘンリー・ミラー協会会長も務めた[7]。
1998年定年。中央大学名誉教授。2002年11月5日、慢性リンパ性白血病により死去、74歳没[8]。
『小学館ランダムハウス英和大辞典』の編集・執筆に携わった。英語に関する著書多数、ヘンリー・ミラーなど翻訳多数。
なお、村上春樹は柴田元幸との対談において[9]、自身に影響を与えたアメリカ文学の翻訳文について、「藤本和子のリチャード・ブローティガンの翻訳」「飛田茂雄・浅倉久志のカート・ヴォネガットの翻訳」をあげている。
なお、村上春樹に影響をあたえた上記の翻訳文体を主題とし、60年代・70年代の日本でのアメリカ文学の翻訳文化を分析・研究した邵丹の著書『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳: 藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち』(松柏社、2022)において、(村上に影響を与えたと考えられる)飛田の初めてのヴォネガット翻訳は、1975年に雑誌『海』に掲載された、ヴォネガットへのインタビュー(のちの『ヴォネガット、大いに語る』の一部)とされている[10]。
著書
『探検する英和辞典』(草思社) 1994
『私が愛する英語辞典たち ちょっと辛口の辞書批評』(南雲堂フェニックス) 1995
『いま生きている英語 大辞典でも収めきれない情報』(中公新書) 1997
『翻訳の技法 英文翻訳を志すあなたに』(研究社出版) 1997
『アメリカ合衆国憲法を英文で読む 国民の権利はどう守られてきたか』(中公新書) 1998
『現代英米情報辞典』(編、研究社出版) 2000
『英米法律情報辞典』(研究社) 2002
翻訳
『母の肖像』(パール・バック、角川文庫) 1965
『追憶への追憶』(新潮社、ヘンリー・ミラー全集10) 1968
『キャッチ=22』(ジョーゼフ・ヘラー、早川書房) 1969、のち改版 ハヤカワ文庫(上・下) 2016
『発端への旅 コリン・ウイルソン自伝』(コリン・ウイルソン、竹内書店) 1971、のち中公文庫 2005
『描くことは再び愛すること』(ヘンリー・ミラー、竹内書店) 1972
『ジェイムズ・ジョイス その批評的解説』(ハリー・レヴィン、永原和夫共訳、北星堂書店) 1978
『戦慄』(アントニイ・バージェス、早川書房) 1978
『浮世絵聚花 3 ボストン美術館 3 歌麿』(マニー・L・ヒックマン、小学館) 1978
『聖ジョージとゴッドファーザー』(ノーマン・メイラー、早川書房) 1980
『輝けゴールド』(ジョーゼフ・ヘラー、早川書房) 1981
『浮世絵聚花 17・18 ボストン美術館 補巻 春信』(デイヴィッド・ウォーターハウス、金子重隆共訳、小学館) 1982
『危険な隣人』(トマス・バーガー、早川書房) 1982
『浮世絵聚花 1 ボストン美術館 1 初期版画』(マニー・L・ヒックマン、小学館) 1983
『ザ・スクープ 屏風のかげに』(ヒュー・ウォルポールほか、中央公論社) 1983
『パームサンデー 自伝的コラージュ』(カート・ヴォネガット、早川書房) 1984、のち改版 ハヤカワ文庫 2009
『ヴォネガット、大いに語る』(カート・ヴォネガット、サンリオ文庫) 1984、のち改版 ハヤカワ文庫 2008