飛田喜佐夫
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とびた きさお
飛田 喜佐夫
本名飛田 喜三(とびた きぞう)
別名義飛田 喜佐雄
飛田 喜佐男
飛田 喜三夫
生年月日 (1926-03-24)
1926年3月24日(98歳)
出生地 日本 東京府東京市浅草区千束町(現在の東京都台東区千束
職業元子役俳優
ジャンル演劇劇映画現代劇時代劇教育映画サイレント映画トーキー)、テレビ映画
活動期間1930年 - 1982年
配偶者あり
著名な家族飛田喜美雄(実弟)
主な作品
『日月と共に』
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飛田 喜佐夫(とびた きさお、1926年3月24日 - )は、日本の元子役俳優である[1][2]。本名は飛田 喜三(とびた きぞう)[1][2]。別名は飛田 喜佐雄など[1][2]
来歴・人物

1926年(大正15年)3月24日東京市浅草区千束町現在の東京都台東区千束)に生まれる[1][2]。父・喜平は会社員で、実弟は大映東京撮影所録音技師として活躍した飛田喜美雄である[1][2]。ただし、喜佐夫の別名と誤記している資料もある。

1930年(昭和5年)、父の知人の紹介で電通映画社教育映画部に子役として入社し、1934年(昭和9年)、本名の飛田喜三名義で『日月と共に』『昼寝も出来ない』で映画デビュー[1][2]。同年、日活多摩川撮影所に入社し、1942年(昭和17年)に大映東京撮影所に改称後も引き続き脇役として活躍[1][2]。この間、千束尋常小学校(現在の台東区立千束小学校)を経て、東京主計商業学校を卒業している[1][2]

戦後の1947年(昭和22年)、芸名を飛田喜佐夫に改名[1]。以後も引き続き大映の専属俳優として多数の作品に出演[1][2]1971年(昭和46年)、大映倒産に伴ってフリーとなった後も活躍を続け、1982年(昭和57年)頃まで活躍した[1][2]。また、舞台も戦前から多数出演していた[1]。しかし、以後の消息は不明てある。
出演作品
電通映画社

『日月と共に
』:監督不明、1934年月日不明公開 - 主演 ※デビュー作

『昼寝も出来ない』:監督不明、1934年月日不明公開

日活多摩川撮影所

全て製作は「日活多摩川撮影所」、配給は「日活」、特筆以外は全てトーキーである。

『乃木将軍』:監督池田富保、1935年1月31日公開 - 少年金太郎

『少年靴屋』:監督伊賀山正徳、1935年月日不明公開 - 三輪忠平 ※サイレント映画

人生劇場』:監督内田吐夢、1936年2月13日公開 - 瓢吉の少年時代

『うちの女房にや髭がある』:監督千葉泰樹、1936年12月11日公開

『悦ちゃん乗り出す』:監督倉田文人、1937年6月17日公開 - グン坊

限りなき前進』:監督内田吐夢、1937年11月3日公開

『令嬢殺し犯人』:監督吉村廉、1938年2月10日公開 - 長男輝夫

『悦ちゃん部隊』:監督伊賀山正徳、1938年5月16日公開

路傍の石』:監督田坂具隆、1938年9月21日公開 - 少年山田咲二

『愛国巡礼歌』:監督山本弘之、1938年11月24日公開

』:監督内田吐夢、1939年4月13日公開 - たみさんの伜

『愛の一家』:監督春原政久、1941年6月28日公開 - 息富夫


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