飛島
飛島の空中写真。
この写真は上方が西北西方角である。
2017年9月21日撮影の8枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
飛島(とびしま)は、日本海に浮かぶ島。山形県酒田市に属する[1]。離島振興対策実施地域(1955年指定)[2]。 酒田港から北西39キロメートルの沖合に浮かぶ[1]。山形県唯一の有人島であり、島の東側(本土に面した側)の勝浦、中村、北側の法木の計3ヶ所の集落によって構成される。 山形県に属するが、本土からの距離は秋田県のほうが近い。山形県で最も北に位置する。 新潟県の粟島、佐渡島とは一直線に結ばれた海の道であり、古来より交流があった。 島の名称の由来には、鳥海山の山頂が噴火によって吹き飛んで島になったという伝説がある(科学的には形成された年代が大きく異なる)[4]。一方で古地図に海獣の名前を冠した「トド島」「トンド島」との表記もあり、決め難い。なお、島内に祀られた小物忌神社は、鳥海山大物忌神社と対をなしている。 なお、飛島に付属する島嶼として御積島などがある[1]。
地理
面積 - 2.75平方キロメートル
周囲 - 10.2キロメートル
最高標高 - 68メートル(高森山)。島の平均標高は約50メートルで平坦な台地状の地形を呈する[1]。
人口 - 210人(高齢化率70%)(2017年6月30日時点)[3]
歴史超短波実用無線電話開通記念碑
島内では、縄文時代早期の終わり頃(約6000年前)などの遺物を出土する葡萄崎遺跡が最古の人類居住の痕跡を残す。葡萄崎遺跡に近い蕨山遺跡からは、東北地方北部の円筒系の土器(円筒上層b式期)と、東北地方南部の大木系土器(大木7b式期)が共に出土した。島内の台地上には、縄文時代のほぼ全期間を通して人々が住んでいたことを示す遺跡が分布する。弥生時代・古墳時代の遺跡は見つかっておらず、この期間には、飛島は生活の舞台とはなっていなかったと考えられる。
島の海岸に面した洞窟遺跡「テキ穴遺跡」からは、9世紀から10世紀前半頃の平安時代の人骨や須恵器、土師器、骨角器などが発見された。人骨は鶴岡市の致道博物館に展示されている。
平安時代には安部氏、清原氏の支配下に置かれた。
15世紀には、羽後の豪族仁賀保氏の所領となる。戦国時代末期に仁賀保氏が常陸国武田へ移封されると最上氏の所領となった。最上氏、酒井氏が支配した近世には、特産のスルメを年貢として課されていた。
江戸時代には庄内藩の所領であり、加茂港から島役人が派遣されていた。酒田港に出入りする北前船の潮待ち港や、水や食料の補給港として重要な位置を占めるようになった。