風船の歴史(ふうせんのれきし)では、世界および日本国内における風船・気球・飛行船の普及や開発・普及に伴う歴史的背景について述べる。 風船の文化は気球・飛行船の歴史とも関連しているので、気球・飛行船の歴史あるいは航空に関する年表も併せて参照のこと。
目次
1 年表
1.1 17世紀以前
1.2 18世紀
1.3 19世紀
1.4 20世紀
1.5 21世紀
2 風船の語彙の変遷
3 参考文献
4 脚注
年表
17世紀以前 1657年以降複数回行なわれたゲーリケのマクデブルクの半球実験。浮力を持つ真空球のアイディアの元となったとされる。 1670年にフランチェスコ・ラナが提唱した真空飛行船の図。
紀元前220年頃: ギリシャの数学者アルキメデスが、水中の物体の浮力則のアルキメデスの原理を発見する。
3世紀: 諸葛亮(諸葛孔明)が通信手段として無人の熱気球を発明したといわれる。(アジア地域の祝祭に使われる天灯の由来とされる。)
1493年: イタリアの探検家・商人のクリストファー・コロンブスが第二次アメリカ航海(?1496年)に出発。途中でジャマイカの原住民が跳ねる黒い球で遊ぶ光景を目撃。ニーニャ号の船員が球を持ち帰るが、その当時は用途を見いだせなかった。
1643年: イタリアの物理学者エヴァンジェリスタ・トリチェリが一端を閉じた約1mのガラス管に水銀を入れ、逆さにするトリチェリの真空実験を行う。
1657年 - 1663年: ドイツの物理学者オットー・フォン・ゲーリケがマクデブルクの半球の実験を行う。
1662年: アイルランド出身の物理学者ロバート・ボイルが、「温度が一定のとき、理想気体の体積は圧力に反比例する」ことを示したボイルの法則を発表。
1670年: イタリアのイエズス会士フランチェスコ・ラナ・デ・テルツィがマクデブルクの半球の実験に刺激され、軽飛行器の「真空飛行船」の可能性を提唱する。
18世紀 1783年にジャック・シャルルらが搭乗した水素ガス気球。風に乗り空中を漕ぎ歩く船は、日本では空船とも風船とも呼ばれた。
1709年: 神父バルトロメウ・デ・グスマンがポルトガルで空中船「パッサローラ」(Passarola)を考案し、燃焼により球体を浮かせる公開実験を行う。