この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2009年1月)
フウスイ
風水の羅盤
各種表記
繁体字:風水
簡体字:?水
?音:f?ngshu?
注音符号:?? ????
発音:フォンシュェイ
広東語?音:fung1 seoi2
?南語白話字:hong-sui
日本語読み:ふうすい
英文:Feng shui
テンプレートを表示
風水(ふうすい)は、古代中国の思想で、都市、住居、建物、墓などの位置の吉凶禍福を決定するために用いられてきた、「気の流れを物の位置で制御する」という思想。「堪輿(かんよ)」ともいう。 古代からの相宅や相墓といった占いの技術が五行説に基づきつつ総合されて成立した。風水には地理の別名があり、かつて天文[要曖昧さ回避]が狭義の天文学と天象を基にした占いのアマルガムであったように、風水は狭義の地理学と地理に則っている。そのため風水は大別すると、地形読破の術である「巒頭(らんとう)」と、時間によって変化する天地間の気を判断する「理気(りき)」とに別れる。 ただし、日本においては風水が完全に成立する唐代以前の一部の理論のみが陰陽道や家相として取り入れられて、中国本土とは別の形で独自の発展を遂げた。近年、日本国内で風水という名称で行なわれている占いの多くは、風水そのものではなく、家相術や九星気学などのアレンジに過ぎない。 「気乗風則散 界水則止 古人聚之使不散 行之使有止 故謂之風水」 から来ている。三浦國雄の『風水講義』では郭璞を、「比類のない博学の士であり、後世風水の元祖に祀りあげられた一種異能の天才」と呼んでいる[1]。しかし『葬書』の語は同時代の資料には見られないため、郭璞の著作ではなく、実際の成立は唐代とする説もある。 また、『葬書』よりも古いとされる風水の古典『狐首経』にもある、 「得水為上 蔵風次之」 を語源とするという説もある。「蔵風得水」(ぞうふうとくすい)とは、水を得、風を防ぐような地形のことで、風水においてもっとも気が溜まる土地とされる。 風水には、地理、堪輿、山といった別名がある。地理は天文と対をなす語で、地理がもともとは狭義の地理学と地形の吉凶を論じる占術とが渾然一体であったことから来ている。堪輿は『天地』を意味している。山(山道)は風水師が良い風水を求めて山野を跋渉したことから来ている。 1960年代の日本に透派奇門遁甲(奇門風水)を伝えた台湾出身の漢学者にして風水師の張明澄によれば、風水という言葉は『周易』の「水風井
概要
名称』にある
気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。古人はこれを聚めて散らせしめず、これを行かせて止るを有らしむ。故にこれを風水と謂う。
得水を上とし、蔵風をこの次とす。
風水の起源」にあるとされる[2]。これは宅地や村落の吉凶を占うもので、後の「陽宅風水」の基礎となった。一方、晋(紀元後3世紀)の時代には郭璞の撰による『葬書』が成立し、「風水」の語が誕生するとともに、後の「陰宅風水」の基礎となった(目崎は『葬書』を晋代の成立としている)。「風水」の思想は唐代(7世紀頃)に非常に盛んになり、陰陽説や五行説が取り入れられ、唐代末(9世紀)には形成学派(巒頭)が誕生する。さらに、宋代(11世紀)には羅盤をもって吉凶を占う方位学派(理気)が誕生する。明・清時代になると両者の区別はあいまいになり、羅盤を扱う技術もより発展して現在の「風水」となる、とする。