風水
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フウスイ
風水の羅盤
各種表記
繁体字:風水
簡体字:?水
?音:f?ngshu?
注音符号:?? ????
発音:フォンシュェイ
広東語?音:fung1 seoi2
?南語白話字:hong-sui
日本語読み:ふうすい
英文:Feng shui
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風水(ふうすい)は、古代中国の思想で、都市住居建物などの位置の吉凶禍福を決定するために用いられてきた、「の流れを物の位置で制御する」という思想。「堪輿(かんよ)」ともいう。
概要

古代からの相宅や相墓といった占いの技術が五行説に基づきつつ総合されて成立した。風水には地理の別名があり、かつて天文[要曖昧さ回避]が狭義の天文学と天象を基にした占いのアマルガムであったように、風水は狭義の地理学と地理に則っている。そのため風水は大別すると、地形読破の術である「巒頭(らんとう)」と、時間によって変化する天地間のを判断する「理気(りき)」とに別れる。

ただし、日本においては風水が完全に成立する唐代以前の一部の理論のみが陰陽道家相として取り入れられて、中国本土とは別の形で独自の発展を遂げた。近年、日本国内で風水という名称で行なわれている占いの多くは、風水そのものではなく、家相術や九星気学などのアレンジに過ぎない。
名称

「風水」という名称は、郭璞に仮託された『葬書』にある

「気乗風則散 界水則止 古人聚之使不散 行之使有止 故謂之風水」
気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。古人はこれを聚めて散らせしめず、これを行かせて止るを有らしむ。故にこれを風水と謂う。

から来ている。三浦國雄の『風水講義』では郭璞を、「比類のない博学の士であり、後世風水の元祖に祀りあげられた一種異能の天才」と呼んでいる[1]。しかし『葬書』の語は同時代の資料には見られないため、郭璞の著作ではなく、実際の成立は唐代とする説もある。

また、『葬書』よりも古いとされる風水の古典『狐首経』にもある、

「得水為上 蔵風次之」
得水を上とし、蔵風をこの次とす。

を語源とするという説もある。「蔵風得水」(ぞうふうとくすい)とは、水を得、風を防ぐような地形のことで、風水においてもっとも気が溜まる土地とされる。

風水には、地理、堪輿、山といった別名がある。地理は天文と対をなす語で、地理がもともとは狭義の地理学と地形の吉凶を論じる占術とが渾然一体であったことから来ている。堪輿は『天地』を意味している。山(山道)は風水師が良い風水を求めて山野を跋渉したことから来ている。
風水の起源

三重大学の目崎茂和によると、風水の起源は時代(紀元前10世紀以前)の「卜宅」にあるとされる[2]。これは宅地や村落の吉凶を占うもので、後の「陽宅風水」の基礎となった。一方、(紀元後3世紀)の時代には郭璞の撰による『葬書』が成立し、「風水」の語が誕生するとともに、後の「陰宅風水」の基礎となった(目崎は『葬書』を晋代の成立としている)。「風水」の思想は唐代(7世紀頃)に非常に盛んになり、陰陽説や五行説が取り入れられ、唐代末(9世紀)には形成学派(巒頭)が誕生する。さらに、宋代(11世紀)には羅盤をもって吉凶を占う方位学派(理気)が誕生する。明・清時代になると両者の区別はあいまいになり、羅盤を扱う技術もより発展して現在の「風水」となる、とする。

1960年代の日本に透派奇門遁甲(奇門風水)を伝えた台湾出身の漢学者にして風水師の張明澄によれば、風水という言葉は『周易』の「水風井卦」が語源だという[3]易卦は、下から順に「初爻」「二爻」「三爻」と立卦するもので、先に「風」(内卦)があって後に「水」(外卦)というのが本来の順序である。「井」とはそのまま井戸のことであり、井戸を掘る場所、つまり人が住む場所を決めるための技術が「風水」だったという考察である。風水の理論構成は、巒頭と理気の別を問わず、易卦理論が基礎にあり、風水という言葉の起源もまた『周易』にあるという。ただし、これは張明澄を祖とする明澄透派の独自の理論であり、学術的には上記の説が取られている。

風水については『葬書』の他に『狐首経』『青嚢経』『青烏経』といった典籍があり、後世に影響を与えた。
理論
巒頭と理気

風水には「巒頭派」と呼ばれる系列と「理気派」と呼ばれる系列とがある。

巒頭(らんとう)は、その土地の気の勢いや質を地形等の形成を目で見える有形のもので判断する方法であり、形法、形勢派、巒体派などとも呼ばれ、江西省で発達したことから江西学派とも呼ばれる。理気(りき)は陰陽五行思想八卦、易理()、方位など目に見えないもので判断する方法であり、理法、理気派、屋宅派などとも呼ばれ、福建省で発達したことから福建学派とも呼ばれる。

巒頭風水では、大地における気の流れを重視し、龍脈からの気の流れが阻害されておらず、運ばれてきた気が溜まり場になっているような土地に都市や住宅を建造しなければならないとする。そうすることによってその地方や一家に優秀な人材が輩出され、冨にも恵まれると考えた。陰宅すなわち墳墓も同様であり、祖先がいる場所が子孫に影響を与えるとし、土地がよければ子孫は繁栄し、悪ければ没落すると考えられている。

一方、理気風水では、方位の吉凶を重視し、個々人の生年月日によって決定される方位の吉凶にもとづき住居や墓の方位、住居内の配置などを決める。

巒頭派によれば、巒頭の作用は80%、理気の作用は20%に過ぎないとするが、理気派によっても、巒頭の作用が60%、理気の作用は40%としており、巒頭優先である。目崎茂和は巒頭派と理気派の区別について、古代中国の山地部では地勢を見る巒頭派が盛んになり、巒頭の基準となる山が無い平野部では方角を見る理気派が盛んだったのだろうとしている。
陽宅と陰宅琉球王族伊江御殿(陰宅)は風水に基づいて建設された

風水では都市や住居(すなわち生者の居住空間)を「陽宅(ようたく)」、墳墓(すなわち死者の居住空間)を「陰宅(いんたく)」と呼んで区別している。そのよろしきを得れば、死者は永く幸を受け、生者はその子孫繁栄するという。

陰宅風水は『葬書』において理論化され、のちに陽宅風水にも大きな影響を与えるようになった。巒頭において山脈(風水では「龍脈」と言う)の気を受け継いで集中する「穴」(いわゆるパワースポット)の位置が重要視されるように、陰宅風水においては先祖の墓が先祖代々の気を受け継ぐ「穴」とされ、陰宅を正しい位置に設置すると、陰宅から流れる気が陽宅を栄えさせるという。

なお、現代の中国人社会では、風水はもっぱら墓相や墓そのものの意味に使われることが多い。[要出典]『葬書』によるイメージが根強いためとも考えられる。ただし現代の大都会や日本では「穴」だからと言ってもどこでも勝手に墓地を作れるわけでは無いので、陽宅風水の方が盛んである。
陽宅三要

陽宅風水の代表である八宅派風水で最も重視される「陽宅三要」の内訳は「門・房・炉」の三項目である。

玄関。吉方に配置するほうが良く、家に入って来た良い気が逃げないようにする。

寝室。吉方に配置するほうが良いが、最大吉方に配置すると気がみなぎり過ぎて落ち着かなるので良くない。

キッチン。家に入って来た悪い気を燃やすことから凶方に配置するほうが良い。

方位の吉凶は家全体の重心(太極)、次いで部屋ごとの重心(小太極)を基準に決められ、複数階の家の場合は階ごとに太極が取られる。「陽宅三要」以外では、リビングなどは吉方に配置され、火は悪い気を燃やす、トイレやバスルームなどの水回りは悪い気を流し去るので凶方に配置される。

陽宅風水にも巒頭と理気の理論がそのまま当てはめられる。現代の大都会でもそのまま当てはめられ、例えばフロアの重心を「太極」とし、高層ビルを「砂」や「案山」とし、電柱を「形殺」とし、ガスコンロや電子レンジを「火」とする。現代の超高層ビルも風水に基づいて建てられている。気が通り抜けられるように穴が開いた香港の高層ビル。
風水地理五訣台北101の噴水。球形は「金」を象徴し、水流はお金の流れを象徴する。

「地理」という言葉は風水の別名としてよく使われるが、もともと風水とは、土地をその起伏や水の流れ方などによって格付けし、住居地や墓地などとして、人間の用に供するための技術であり、地相を見るための理論という意味で「地理」という。「geography」のことを「地理学」と言うのはこれに由来する。

後金代の風水師、趙九峰による古典『地理五訣』によれば風水を構成する重要な要素として、龍・穴・砂・水・向の五つの条件がある。

土地の起伏やうねり、山脈や尾根筋などの形状を神獣である竜に例えたものである。「竜管貴賤」といわれるように、「竜」は「貴賤」を司るものとされる。起伏が良く、生き生きとした「竜」を「貴竜」といい、多くの「気」が集まり、住む人の身分や地位を高くするという。また、起伏が全くない土地は「賤竜」といい、「気」が集まることがなく、住む人の身分地位を低下させるという。


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