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出典検索?: "風に吹かれて" ボブ・ディランの曲 ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2010年11月)
「風に吹かれて」
ボブ・ディランの楽曲
収録アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』
リリース 1963年5月23日
規格12" アルバム
録音1962年7月9日
ニューヨーク
コロムビア・レコーディング・スタジオ
ジャンルフォーク
時間2分48秒
レーベルコロムビア
作詞者ボブ・ディラン
作曲者ボブ・ディラン
プロデュースジョン・ハモンド
カバー
ピーター・ポール&マリー
スティーヴィー・ワンダー
『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』収録順
「風に吹かれて」
(1)北国の少女
(2)
ミュージックビデオ
「Blowing In The Wind」(Live On TV, March 1963) - YouTube
「風に吹かれて」
ボブ・ディラン の シングル
初出アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』
B面くよくよするなよ
リリース 1963年8月13日[1]
規格7インチ・シングル
レーベルコロムビア・レコード
作詞・作曲ボブ・ディラン
プロデュースジョン・ハモンド
ボブ・ディラン シングル 年表
ゴチャマゼの混乱
b/w
コリーナ、コリーナ
(1962年12月)風に吹かれて
b/w
くよくよするなよ
(1963年8月)サブタレニアン・ホームシック・ブルース
b/w
シー・ビロングズ・トゥ・ミー
(1965年3月)
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「風に吹かれて」(かぜにふかれて、英: Blowin' in the Wind)は、ボブ・ディランのセカンド・アルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』(1963年)に収録され、シングル・カットされた楽曲。
ピーター・ポール&マリーのカバーが世界的にヒットして、作者のディランを一躍有名にした。1960年代のアメリカ公民権運動の賛歌とも呼ばれ[2]、現在に至るまでディランの作中最も愛唱されることの多い歌曲となっている。
ディラン・バージョンは1994年に、ピーター・ポール&マリー・バージョンは2003年に、それぞれグラミーの殿堂入りを果たしている[3]。雑誌『ローリング・ストーン』誌が2004年に選出した「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」では14位にランクされている[4][5]。ロックの殿堂の「ロックン・ロールの歴史500曲(500 Songs that Shaped Rock and Roll)」の1曲にも選出されている。 シンプルで力強い旋律と和声進行を持つメッセージ・ソング。三連から成り、いずれも「どれだけの砲弾を発射すれば、武器を永久に廃絶する気になるのか」「為政者たちは、いつになったら人々に自由を与えるのか」「人は何度顔を背け、見ていないふりなどできるのか」「一人一人にいくつの耳をつければ、他人の泣き声が聞こえるようになるのだろうか」「人はどれだけの死人を見れば、これは死に過ぎだと気づくのか」というプロテスト・ソング風の問いかけと、「男はどれだけの道を歩けば、一人前と認められるのか」「山が海に流されてなくなってしまうのに、どのくらいの時間がかかるのか」という抽象的な問いかけが交互に繰り返されたあと、「答えは風に吹かれている」というリフレインで締めくくられる。この曖昧さが自由な解釈を可能にしており、従来のフォークファンばかりでなく、既成の社会構造に不満を持つ人々に広く受け入れられることになった。 歌詞は、1962年に雑誌「シング・アウト!」に、ディランのコメントとともに掲載された。 「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。ヒップな奴らは「ここに答えがある」だの何だの言ってるが、俺は信用しねえ。俺にとっちゃ風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。あんたら21歳以上の大人は、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう。」 アメリカ合衆国では、特に公民権運動を進める人々の間でテーマソングのようになり、やがて日本においても広く歌われるようになった。井上陽水の「最後のニュース」や、はしだのりひことシューベルツの「風」、中島みゆきの「時代」、南沙織の「哀しい妖精」など、日本のフォークや歌謡曲の歌詞にその影響を受けたものが多く見出せる。 1962年4月、グリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス「ガスライト」の向かいにあった「コモンズ」で友人たちと長時間黒人の公民権運動について討論したはてに生まれ、「コモンズ」か「ファット・ブラック・プシーキャット」に座って数分で書き上げたと言われている。
解説
経緯