領海(りょうかい、英語: territorial sea、フランス語: eaux territoriales)とは、基線から最大12海里(約22.2キロメートル)までの範囲で国家が設定した帯状の水域であり、沿岸国の主権が及ぶ水域である(右図参照)[1][2][3]。沿岸海(えんがんかい)といわれることもある[1]。
領海、領海の上空、領海の海底とその地下には沿岸国の主権が及ぶ[1][2][4]。領土と領空とともに国家領域のひとつで[5]、また領海に内水、群島水域をあわせて沿岸国の主権がおよぶ3種の海域のことを領水(英: territorial water)と呼ぶ[6]。 17世紀前半には「海洋論争」といわれる学術的対立が繰り広げられた[9][10]。例えばグロティウスは、母国オランダを擁護する観点からオランダの通商を排除しようとするポルトガルに対抗し、『自由海論』(1609年)を刊行して何人も海を所有しえないと主張した[7][10][11]。グロティウスの主張によれば、海はその自然的性質から境界を確定することが困難であるため所有や領有の対象とはなりえず、万民による利用のために開放されるべきという[10]。この主張は後の海洋の自由の原則形成に大きな影響を与えたが、当時は多く論者がグロティウスの主張に異を唱えた[7]。その中でも代表的であったのがセルデンの『閉鎖海論 「狭い領海」と「広い公海」という海洋の二元構造確立以降も、領海の性質と範囲については未確定のままであった[14]。領海の外側においては公海の制度が適用されるにしても、領海と公海の境界線をどこに置くのかが定まらなかったのである[14]。19世紀には沿岸から3海里までを自国の領海とする国が多くなったものの、4海里、6海里、12海里、沿岸から発射したキャノン砲の着弾距離など、各国の主張は食い違った[14]。領海に限らず、国際海洋法の分野ではこれ以降も国際慣習法に由来する法規が長きにわたり適用され続け、当時の国際社会は条約作成に消極的だった[15]。これは当時の海洋技術が未熟であったこともあって、各国は一時的に対立することはあっても戦争を引き起こしてまでその対立を解決しようとする国が現れるほど状況は緊迫していなかったためである[15]。こうした状況は19世紀後半まで続いた[15]。 19世紀後半になると、例えば1856年のパリ宣言のように、国際海洋法の分野でも条文が作成される試みが見られるようになる[15]。 20世紀になり、1930年に国際連盟が主催した国際連盟国際法典編纂会議では、国際海洋法に関する国際慣習法の条約化も、議題のひとつとして取り上げられた[16]。ここでは特に、長年にわたり争われてきた領海の幅など、領海制度の統一が試みられたが、交渉は進捗せず、国際条約の作成は失敗した[16][17]。 第二次世界大戦後には、国際連合のもとで領海制度の国際条約化が進められたが、例えば1952年に、チリ・エクアドル・ペルーは、200海里の領海を独自に宣言し、1958年に開催された第一次国連海洋法会議では、領海の性質について定める領海条約が採択されたが、領海の幅については、各国の主張は食い違ったため、同条約にもこの点に関する規定が設けられることはなかった[16][17][18]。 1960年の第二次国連海洋法会議においても、領海の限界を決定することはできず、殊に領海の幅に関しては、国際条約の対象となる国際慣習法が存在するのかも疑問視された[17][18]。 この時代の領海の幅に関する各国の対立は、海洋国と沿岸国の対立を象徴するものであった[16]。自国の海運、遠洋漁業の自由確保のためにかつて多数派の支持を得た3海里領海に固執する海洋国と、自国領海に隣接する公海での漁業資源を他国から守るためにそれまで公海と考えられていた海域に対する自国管轄権を要求する沿岸国との対立である[16][18][19]。
沿革
グロティウスの肖像画セルデンの肖像画
万民共有物の時代であるとして、何人も海を所有することができないとした[7]。中世に入りヨーロッパでは海の秩序確保のために沿岸国に警察権や裁判権を認めることもあったが、この時代には海そのものに対する国家の領有権はローマ法に基づき否定された[8]。1493年、スペインとポルトガルはトルデシリャス条約を締結し、大西洋やインド洋への領有権を主張した[7][8]。これに対し例えばエリザベス1世は海洋の自由を主張するなど、スペイン・ポルトガルの主張に対してイギリスとオランダは反発し、1588年にはスペインの無敵艦隊を撃破して両国の領有の主張を退けた[7]。17世紀初めになるとイギリスとオランダは東インド会社を設立して広く海外交易をおこなった[7]。
海洋論争
慣習法による領海
領海制度の条約化国連海洋法条約による海域の区分。
12海里までの領海確立
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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