須田一二三
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この項目では、元競輪選手について記述しています。台湾総督府官僚の同名の人物については「須田一二三 (官僚)」をご覧ください。

須田 一二三(すだ ひふみ、1942年7月14日 - )は、元競輪選手三重県出身。現役時代は、全国競輪選手会→日本競輪選手会岐阜支部所属。選手登録番号7110。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第16期生。
来歴

1962年7月21日、競輪学校第16期生として、高松競輪場でデビューして1着。同期には稲村雅士工藤元司郎らがいる。

デビュー後は連勝を続け、2022年時点でも未だ破られていない競輪選手の最多連勝記録である37連勝を果たした。

ちなみに須田が37連勝を達成した当時は特別進級(特進)制度がなく、同制度が設けられてからの最多連勝記録は坂本勉の35連勝である。

1964年に行われた第18回日本選手権競輪後楽園競輪場)決勝3着など、いくつかの大会で特別競輪(現在のGI)の決勝進出歴があるが、優勝は一度も果たせなかった。1975年の日本選手権競輪(千葉競輪場)では、優勝を果たすことになる高橋健二の、最終ホームからの捨て身の先行策に乗ってその番手でレースを進めるという、絶好の好機を得たものの、勝負どころの最終3角付近で高橋についていけなかったことが災いし、4着に終わった。

1999年4月6日、選手登録削除。通算戦績2884戦645勝。
関連項目

スポーツ無敗記録一覧

外部リンク

選手通算成績(1976年以降のみ) - KEIRIN.JP


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