戦国大名龍造寺隆信の異母弟龍造寺信周を祖とする。信周は隆信によって肥前国杵島郡の須古城に封ぜられ、龍造寺氏から鍋島氏への国政移譲の後もその地を治めた。その際、鍋島氏への権力移譲が正当なものであることを、他の龍造寺諸家とともに幕府に対して証言している。3代邑主茂周のとき鍋島姓を与えられた。
その後、佐賀藩の財政再建のため、2度にわたる三部上地を経て石高は半減したが、幕末まで佐賀藩の家老として藩政にかかわった。
系譜詳細は「龍造寺氏#系譜」を参照
更新日時:2021年4月29日(木)04:05
取得日時:2022/03/07 01:51