須佐神社
本殿
所在地島根県出雲市佐田町須佐730
主祭神須佐之男命
社格等式内社(小)
旧国幣小社
別表神社
本殿の様式大社造
別名須佐大宮
札所等出雲國神仏霊場18番
例祭4月18日
主な神事念仏踊り
地図.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度14分4.9秒 東経132度44分12.7秒 / 北緯35.234694度 東経132.736861度 / 35.234694; 132.736861
須佐神社(すさじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社である。須佐之男命の御魂を祀る古社。式内小社で、旧社格は国幣小社。出雲國神仏霊場第十八番。 『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐氏は、大国主神の子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。 旧社地は神社の北方にある宮尾山にあったとされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。 『出雲国風土記』に「須佐社」と記載されている。『延喜式神名帳』に「須佐神社」と記載され、小社に列している。中世には「十三所大明神」「大宮大明神」、近世には「須佐大宮」と称した。 明治4年(1871年)に延喜式に記載される「須佐神社」に改称し、明治5年(1872年)に郷社に列格し、翌明治6年(1873年)に県社に、明治33年(1900年)に国幣小社に昇格した。
歴史
祭神
主祭神
須佐之男命
配祀神[注 1]
稲田比売命 - 須佐之男命の妻
足摩槌命 - 稲田比売命の親
手摩槌命 - 稲田比売命の親・須佐家の祖神
施設
本殿・幣殿・拝殿
本殿は島根県指定文化財で、文久元年(1861年)建立[1]。方2間(約4 m)、高さ約12 mの大社造で、向かって右の1間に入口となる階(きざはし)がある。[2]。それ以前のものは、元応2年(1320年)の書の大宮古図では、方4間と記載されている。
神楽殿
社務所
潮(塩)の井
須佐之男命が自ら塩を汲み、この地を清めたと伝わる。日本海に続いてるとされ、日本海が満潮の時は井戸付近の地面に潮の花が吹く。分析すると「芒硝含有食塩泉」で弱アルカリ性との結果であった[3]。
大杉
本殿の背後にあり、社伝によると、樹齢は1300年ほど推定され、幹周り7メートル、高さ30 m程度[4]。江原啓之の「神社紀行」が発刊されて以降、この杉の樹皮を剥がして持ち帰る不心得者が多数現れた為、現在は幹の周辺に柵がめぐらされている。
境内入り口鳥居
拝殿
幣殿
神楽殿
潮(塩)の井
御神木の大杉
境内社天照社本殿
天照社
祭神:天照大神。神社の前の道路を挟んで向かい側にある。「上の御前さん」、「上社」とも呼ばれる[5]。中世には伊勢宮と呼ばれた。
東・西末社
祭神:天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日命、市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命[5]。
三穂社
祭神:三穂津比売命、事代主命。「下の御前さん」、「下社」とも呼ばれる[5]。
稲荷社
祭神:稲倉魂命[5]。
随神門
祭神:豊磐間戸神と櫛磐間戸神[5]。
天照社拝殿
東末社
西末社
三穂社
稲荷社
随神門
境外社
厳島神社
祭神:市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命(宗像三女神)。「洗度社」、「祓戸社」とも呼ばれる[5]。
須賀神社
祭神:素戔嗚尊。「才神楽さん」とも呼ばれる[5]。
祭礼
1月1日 歳旦祭
2月3日 節分祭
神楽の奉納、茅の輪の授与、豆撒きが行われる。
2月17日 祈年祭
4月18日 例祭
朝覲祭 - 例大祭の神事の後に行われる、本殿から向かいの天照社まで渡御する行幸の神事[6]。
4月19日 古伝祭
陵王舞 - 古伝祭の神事に引き続き行われる。修理固成・耕田播種の舞楽が行われる[7]。元は、陰陽師系の神人が舞ったものが変容したものと考えられる。
百手神事 - 午後に行われる、悪魔退散・五穀豊穣を祈願する弓射神事[8]。
6月30日 大祓
8月15日 切明神事
念仏踊り - 午後に行われる。境内に2本の神事花が立てられ、その下に着流しを着た踊り手が円陣を描きながら「ナーマミドー」と唱え、笛に合わせて単調な動きで踊る。中世に田楽系の踊りに念仏聖たちの影響が加わったと考えられる、神仏習合色の強い踊りである。