音羽町
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この項目では、愛知県に存在した音羽町について説明しています。

1966年まで東京都文京区に存在した音羽町については「音羽」をご覧ください。

その他の音羽町については「音羽町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

おとわちょう
音羽町
龍源寺


音羽町旗音羽町章
(1981年3月5日制定)

廃止日2008年1月15日
廃止理由編入合併
音羽町、御津町豊川市
現在の自治体豊川市
廃止時点のデータ
日本
地方中部地方東海地方
都道府県愛知県
宝飯郡
市町村コード23601-2
面積29.65 km2
総人口8,874人
(推計人口、2008年1月1日)
隣接自治体岡崎市豊川市蒲郡市御津町
町の木コアブラツツジ
町の花ツツジ
音羽町役場
所在地441-0292
愛知県宝飯郡音羽町大字赤坂字松本250番地
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度51分33秒 東経137度18分27秒 / 北緯34.85903度 東経137.30747度 / 34.85903; 137.30747座標: 北緯34度51分33秒 東経137度18分27秒 / 北緯34.85903度 東経137.30747度 / 34.85903; 137.30747

■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町 / ■ ― 村
特記事項音羽町役場(現・豊川市音羽庁舎)
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音羽町(おとわちょう)は、愛知県の南東部、宝飯郡にあったである。現在の豊川市赤坂町長沢町萩町に該当する。

江戸時代には、東海道宿場町として栄え、慶応4年1868年)には三河県の県庁所在地となった。

2008年1月15日豊川市に編入したため消滅した。
地理
地形

音羽町は東西9.60km、南北5.78 kmで、東北東から西南西に細長く延びる形状をなしていた。標高300?400mの山地が町域の7割以上を占めていた。

町内の代表的な山は宮路山である。標高では東端に聳える額堂山 (420.4m) や観音山 (413.3m) の方が上であるが、古い文献にも名が記され、遊歩道の整備もなされている宮路山の方が知名度は高い。

主な河川は、音羽川と山陰川である。音羽川は町の北西部から南部にかけて流れ、御津町を通過して三河湾に注ぐ。山陰川は町の北東部から南部にかけて流れ、町南端で音羽川と合流する。山地の多い本町にあって、これら2河川の流域は盆地として開けており、道路網や住宅街を形成している。

音羽川の河谷沿いには、「音羽川断層」と呼ばれる断層が存在する。これは名鉄名古屋本線美合駅付近から同御油駅付近に至る約14kmの区間を通る断層である。『岡崎市史』では、並行して走る2本の断層の総称として同断層を捉え、「御油断層」と呼んでいる。同様に、山陰川沿いにも断層線が走っており、上流部のいくつかの地点では露頭を見ることができる[1]

主な山: 京ヶ峰、宮路山、城山、額堂山、観音山

主な河川: 音羽川、山陰川

気候

太平洋側気候に属し、比較的温暖な気候である。ただし冬場(12月?3月頃)の最低気温に関しては、摂氏0度を下回るのが一般的である。

音羽町の月別気温・降水量(2005年)[2]1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年平均気温、
年合計降水量
最高気温(℃)13.714.818.729.928.134.734.635.433.629.922.413.825.8
最低気温(℃)-1.1-2.3-0.12.59.715.920.121.016.410.14.1-1.97.9
平均気温(℃)5.55.88.515.218.623.626.428.025.319.412.44.416.1
降水量(mm)23.058.0117.059.0105.0122.0247.082.5102.5169.519.53.51,108.5

都市計画

音羽町は、全域が都市計画区域内にあった。市街化区域は174haで、行政区域全体の5.9%。残り94.1%を市街化調整区域が占めていた。詳細は以下のとおり[3]

区分面積(ha)建蔽率(%)容積率(%)
第一種低層住居専用地域2450100
第一種中高層住居専用地域360150
第一種住居地域8960200
近隣商業地域380200
準工業地域1160200
工業地域2460200
工業専用地域2060200
市街化調整区域2,79160200

音羽町における都市計画区域・用途地域の変遷は以下のとおり[4]

1969年12月24日 - 都市計画区域を最終決定

1970年11月24日 - 市街化区域・市街化調整区域の範囲を決定

1971年2月15日 - 用途地域を最終決定

1978年9月1日 - 赤坂台を市街化区域に編入

1986年5月2日 - 長沢金山地区及び会下山地区の用途を変更

1990年12月26日 - 萩企業団地を市街化区域(工業専用地域)に編入

地名

「音羽町」の名は、町内を通る主要河川・音羽川から採った。

音羽町は、大きく4つの地域に分けられる。後述するように、当町は赤坂町長沢村、萩村の3町村の合併により成立した。以後、これら3町村の名は大字名として残り、各区域は財産区消防団の構成単位となった。のちに「三河赤坂台団地」が町中央部(赤坂・萩の一部分)に造成されると、団地内の住所表示は「音羽町赤坂台」に改められた。

町廃止後の住所表示は、「大字」の代わりに「町」が挿入され、「字」は削除されることとなった。旧音羽町役場(現・豊川市音羽庁舎)の住所を例にとると、「音羽町大字赤坂字松本250番地」から「豊川市赤坂町松本250番地」に改められた。ただし赤坂台地区内の住所表示は、「音羽町赤坂台○○番地」から「豊川市赤坂台○○番地」となった[5]。「音羽町大字音羽」は無かったため、合併後の豊川市内の町丁に「音羽町」は無い。但し、複数町内会を総括する連区名として「音羽連区[注釈 1]」が存在する。
隣接した自治体

岡崎市(北部に隣接)

豊川市(東部・南東部に隣接)

蒲郡市(南西部に隣接)

宝飯郡御津町(南部に隣接)

歴史
古代

音羽町内では旧石器時代の遺物は発見されていないが、縄文時代弥生時代には人類が居住していたらしく、萩字中林(現・豊川市萩町中林)で石斧石鏃が出土している。ただし、貝塚は音羽町内では見つかっていない。

弥生時代には銅鐸も多く作られたが、音羽町内では存在が確認されていない。尾張藩の岡田挺之が編纂した『秉穂録』に、赤坂出身の人物が3つの銅鐸が発掘されたのを見た旨が記録されているのみである。


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