「音楽」のその他の用法については「音楽 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
アフリカ大陸、ナイジェリア・オスン州の伝統的なドラマーによるドラムの演奏。アメリカに移った黒人はジャズやブルースを生み、世界中に広がった[1]。中国の雅楽を演奏するための楽器編成例。紀元前433年のもの。中国の雅楽が、漢字文化圏の朝鮮の雅楽や日本の雅楽に大きな影響を与えた。現代では若者や大衆の間で日常的に広く聞かれている音楽は、いわゆるポピュラー音楽で、歌声(ヴォーカル)に歌詞をのせて楽器の伴奏が伴う
音楽(おんがく、英語: Music、フランス語: Musique、イタリア語: Musica、スペイン語: Musica)とは、音による芸術である。音楽はあらゆる人間社会にみられる普遍文化だが[2]、その定義は文化によって様々である[3]。音楽は先史時代から存在したとされる。
定義詳細は「音楽の定義」を参照
広辞苑では「音による芸術」と定義されている。
4世紀古代ローマの哲学者、アウグスティヌスの『音楽論』では「Musica est scientia bene modulandi(音楽とは音を良く整えるスキエンティア[注 1]である)」とされた[4]。ジョン・ブラッキングの書では「人間が組織づけた音[5]」とされた。ジョン・ケージは「音楽は音である。コンサートホールの中と外とを問わず、われわれを取り巻く音である。」と語った。 『呂氏春秋』(紀元前239年に完成)に既に「音楽」という表現がみられる。音楽の由来するものは遠し、度量に於いて生じ、太一に於いて本づく(『呂氏春秋』大楽) 英語の"Music"を始め、ヨーロッパの多くの言語においては、古代ギリシャ語のμουσικ?
語源
分類・種類
各国の音楽
カナダの音楽(英語版
音楽の「ジャンル」とは、音楽の様式や形式のこと。古来より音楽は多くの社会で娯楽、宗教、儀式などを通じ、生活に密接したものになっており、多くの特徴ある形式や様式を生み出してきた。
音楽のジャンルは、現在聞くことの出来る音楽の様式・形式であると同時に、発生した源、歴史の手がかりとなっている。
現代の音楽は、様々なジャンルの複雑な合成になっていることが多い[7]。
歴史詳細は「音楽史」を参照
古代の音楽の歴史詳細は「古代の音楽」および「古代西洋音楽」を参照
音楽は有史以前から行われていたとされるが、それがいつ何処で、どのような形で始まったかは定かでない。ただ、それは歌から始まったのではないかと考えられている[8]。西洋では、古代ギリシアの時代にはピタゴラスやプラトンにより音楽理論や音楽に関する哲学が始まっており、古代ギリシアの音楽はギリシア悲劇や詩に伴う音楽が主であった[9]。これが後のクラシック音楽に繋がっている。
東洋では、江戸時代まで総検校塙保己一らによって温故堂で講談された和学や、中国神話によると、縄の発明者の氏族が歌舞や楽器、楽譜などを発明したとされる。塙保己一は、撚糸である縄や結縄の発祥を日本列島から出土する土器や房総半島飯岡の網小屋に遺る有結網に捜し求めた研究成果を群書類従に編纂した。
歌舞の発明者―『葛天氏』治めずして治まった時代の帝王。縄、衣、名の発明者でもある。
琴瑟の発明者―『伏羲』三皇の初代皇帝。魚釣り、結縄、魚網、鳥網、八卦の発明者でもある。
笙簧の発明者―『女?』天を補修し人類を創造した女性。
ジャンルごとの歴史
クラシック音楽の歴史
詳細は「音楽史#西洋音楽史」を参照
クラシック音楽の音楽史においては、8世紀頃まで遡ることができる。まず、この頃にキリスト教の聖歌であるグレゴリオ聖歌や、多声音楽が生まれ(中世西洋音楽)[10]、これが発展し、15世紀にはブルゴーニュ公国のフランドル地方でルネサンス音楽が確立された。16世紀には本格的な器楽音楽の発達[11]、オペラの誕生が起こり[12]、宮廷の音楽が栄えた(バロック音楽)。これ以前の音楽を、初期音楽と呼ぶことが多い。その後18世紀半ばになると民衆にも音楽が広まり、古典派音楽と呼ばれる「形式」や「和声」に重点をおいた音楽に発展した。また、この頃から一般的に音楽が芸術として見られるようになる。19世紀には「表現」に重点を置いたロマン派音楽に移行し[13]、各国の民謡などを取り入れた国民楽派も生まれる[14]。20世紀頃には「気分」や「雰囲気」で表現する印象主義音楽や、和声および調の規制をなくした音楽などの近代音楽が生まれ、さらに第二次世界大戦後は現代音楽とよばれる自由な音楽に発展した。
ポピュラー音楽の歴史
詳細は「音楽史#アメリカポピュラー音楽の音楽史」および「アメリカ合衆国の音楽」を参照
ポピュラー音楽の歴史は17世紀頃、アメリカへの移民まで遡る。本格的に移民が行われるようになると、白人によるミュージカルのような劇場音楽が盛んになった。また、アフリカからの黒人により霊歌(スピリチュアル)、ブルースやゴスペルが始まった。19世紀末にはブルースが西洋音楽と融合し、スウィングや即興、ポリリズムが特徴的なジャズに発展していった。1920年代には、ブルースやスピリチュアル、アパラチア地方の民俗音楽が融合したカントリー・ミュージック(カントリー)が人気を集め、1940年代には電子楽器や激しいリズムセッションが特徴的なリズム・アンド・ブルース(R&B)、1950年代にはR&Bとゴスペルが融合したソウルミュージック(ソウル)が生まれた。さらに、1950年代半ばには、カントリー、ブルース、R&Bなどが融合したロックンロール(ロック)が現れ、1970年代にはヒップホップの動きが現れた。
日本の音楽の歴史詳細は「音楽史#日本音楽史」および「邦楽」を参照
日本では、縄文時代から既に音楽が始まっていたが、5世紀から8世紀にかけて朝鮮半島・中国から音楽を取り入れたことからさまざまなジャンルの音楽が始まった[15]。まず、平安時代に遣唐使を廃止して国風文化が栄えていた頃、外来音楽を組み込んだ雅楽が成立し、宮廷音楽が盛んになった。その後、鎌倉時代・室町時代には猿楽が始まり、能・狂言に発展した。江戸時代でも日本固有の音楽が発達し、俗楽(浄瑠璃、地歌、長唄、箏曲など)に発展した。明治時代以降は、音楽においても西洋化や大衆化が進み、西洋音楽の歌曲やピアノ曲が作曲された。1920年代には歌謡曲や流行歌などの昭和時代のポピュラー音楽が始まり、1960年代に入るとアメリカのポピュラー音楽や現代音楽が取り入れられ、ロックやフォークソングが盛んとなる一方、演歌が成立した[16]。1990年代にはJ-POPが成立し隆盛を迎えた[17]。 ヨーロッパでは古くは王侯貴族や教会などが音楽家を保護し、そのなかで数々の名曲が生み出されていたが、18世紀頃よりヨーロッパにおいては市民の経済力が向上し、不特定多数の聴衆に向けての演奏会が盛んに行われるようになった[18]。この傾向はフランス革命(1789年)以後、上記の特権階級の消滅や市民階級の経済力向上(貴族に代わるブルジョワ市民の台頭)に従ってさらに加速していった[19]。 また、16世紀には活版印刷の発明によって楽譜も出版されるようになった。印刷楽譜はそれまでの書写によるものより量産性・正確性・価格のすべてにおいて優れたものであり、音楽、とくに同一の曲の普及に大きな役割を果たした[20]。楽譜出版は、19世紀には商業モデルとして確立し、音楽産業の走りとなった[21]。 19世紀末までは自分で演奏を行う場合以外は音楽を楽しむには基本的に音楽家が必要であったが、1877年にトーマス・エジソンが蓄音機を発明し、次いで1887年にエミール・ベルリナーがこれを円盤形に改良し、ここからレコードが登場すると、音楽そのものの個人所有が可能となり、これにより各個人が家庭で音楽を楽しむことも可能となった[22]。 次いで、1920年代にラジオ放送が開始されマスメディアが音声を伝えることも可能になるとすぐに音楽番組が開始され、不特定多数の人々に一律の音楽を届けることが可能となり、音楽の大衆文化化が進んだ。そしてその基盤の上に、音楽の制作や流通、広告を生業とするレコード会社が出現し、大規模な音楽産業が成立することとなった。
大衆化および産業化の歴史