音楽寺
所在地埼玉県秩父市寺尾3773
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度0分21.7秒 東経139度3分43.5秒 / 北緯36.006028度 東経139.062083度 / 36.006028; 139.062083
音楽寺(おんがくじ)は、埼玉県秩父市にある臨済宗南禅寺派の寺院。 天長年間(824年 – 834年)に慈覚大師(円仁)が巡錫した際、聖観音像を刻んで観音堂に安置した。秩父札所を開創したとされる「十三権者」が、この地で松風の音を聞き、あたかも菩薩の奏でる音楽のように聞こえたことから「音楽寺」と名付けられたという[2]。 当寺は小鹿坂峠にあり、眼下には秩父の市街地を望むことができる。 1884年(明治17年)10月31日、秩父困民党は椋神社で蜂起し、11月2日に当寺に到達した。そして、秩父郡役所がある大宮郷(秩父市街地)を目指して、当寺の鐘を打ち鳴らしながら突撃した(秩父事件)[2][3]。 1978年(昭和53年)になり、「秩父困民党無名戦士の墓」が建てられた。ただ当寺では戦闘が行われていないので、実際には墓ではなく顕彰碑である。困民党員が打ち鳴らした鐘は江戸時代に鋳造されたもので、現在は秩父市の文化財に指定されている[2][3]。
歴史
秩父困民党進軍の地
ギャラリー
十三権者の石仏
音楽寺から武甲山と秩父市街地を望む
秩父困民党無名戦士の墓
文化財
音楽寺の銅鐘(秩父市指定有形文化財 昭和45年11月3日指定)[4]
札所23番松風山音楽寺(秩父市指定史跡 昭和40年1月25日指定)[5]
交通アクセス
西武秩父駅または秩父駅より西武観光バス「ミューズパーク循環」にて「音楽寺」下車 徒歩3分
前後の札所
秩父札所(江戸巡礼古道)[6]
22 童子堂
脚注[脚注の使い方]^ 新編武蔵風土記稿 寺尾村.
^ a b c ⇒23番音楽寺秩父札所連合会
^ a b 花井泰子、花井敬、青木忠雄 著『さいたま寺社めぐり 夫婦で訪ねた四季の寺社76選』幹書房、1999年、108p
^ 音楽寺の銅鐘秩父市
^ 札所23番松風山音楽寺秩父市
^ 秩父札所連合会の地図 (PDF)
参考文献
花井泰子、花井敬、青木忠雄 著『さいたま寺社めぐり 夫婦で訪ねた四季の寺社76選』幹書房、1999年