音楽史
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音楽史(おんがくし)では、音楽歴史について解説する。
研究

音楽史は複数にわたる研究対象と方法がある、音楽学および歴史学の領域の一つである。研究対象として、歴史学的な時代区分に基づいたもの、また特定の地域における音楽史を扱ったもの、さらに特定のジャンルに限定したもの、演奏慣習や音楽理論など音楽学的な主題を扱ったものなどが挙げられる。また記述の方法については音楽の形式、音楽の基盤にある音楽文化などが試みられている。このような音楽史を扱う学問は音楽史学であり、これは一般的な歴史学と同様に資料批判を踏まえて史実を叙述する学問でありながらも、音楽という芸術を扱うために美的な価値判断を伴う特徴がある。

古代を別として音楽史学の最も古い研究の一つはガルヴィジウスによる『音楽の起源の進歩について』(1600年)である。ガルヴィジウスの後の音楽史学における業績にはマルティーニ神父による『音楽史』(1757-81)、ゲルベルトとクスマケールの中世音楽史の研究、ヤーン、ヴェストファール、ヘーヴァールトなどによる古代ギリシア音楽史の研究、ヴィンターフェルトによる『ガブリエーリ時代の研究』などがあり、これらが音楽史学の学問的伝統を形成している。

全世界の音楽作品の系譜を音楽史として統一的に叙述することは極めて困難な作業である。音楽史の起点とするべき音楽の起源にもいくつかの学説があるほか、多種多様な音楽が並存しており、それぞれの歴史体系も異なるからである。ただし、その中から共通するものを見出そうとする試みはつづけられている[1]

なお、レコードなどにおける「音楽史」というジャンルは、バロック音楽以前の西洋音楽(いわゆる古楽)を示す。
音楽の起源詳細は「古代の音楽」を参照

音楽の歴史は有史以前まで遡ることが出来る。

音楽の起源に対しては、「言語起源説」「労働起源説」「模倣起源説」「呪術起源説」などがある[2]

音楽学者のクルト・ザックスは、自然民族における音楽現象を研究し、最も原初的な音楽様式として、以下の二つを挙げた。
「言語起源的」な様式(抑揚をつけて言葉を唱えることから始まった)

「感情起源的」な様式(形にとらわれず感情をほとばしらせることから始まった)やがてこの二つは混ざり合い、

「旋律起源的」な様式に発展したと言う。

あるいは手拍子を伴ったかもしれない。原初の楽器打楽器であったと推測できる。リズムが生まれたが、ハーモニーと呼べるものを生みだすのは困難であっただろう。

確実に最古の管楽器と考えられているものは約36000年前のものであり、ドイツウルム近郊の洞窟から出てきた骨の笛を現生人類が使用したと考えられている[3]。また古い笛としては、およそ3000年前の地層から出土した骨を利用した笛があり、現代のリコーダーのような形をしている。

古代人にとって、猛獣猛禽類や蜂を始めとする害虫、また天災から身を守ることが毎日の生活の大きな課題であり、古代の音楽は、その課題を解決するために考案されてきたと考えられている。巨大動物の威嚇音を模した法螺貝[4]は猛獣を追い払い、錫杖[5]は地を鳴らして蛇を驚かせ、また原初の鐘とされる[6]は何個も同時に打ち鳴らすことで猛獣を退散させたと伝えられる。このように生活の安全を守ってくれる音楽は、後に、祈り祝祭、あるいは狩猟儀式などに用途を代えていった。
生物学的な音楽の起源

音楽は人類共通のものであり、あらゆる文化において存在する。さらには、生まれたばかりの赤ん坊であっても、音楽に対する関心を示すことから、ヒトという種は、音楽に対して何らかの遺伝的基盤を備えていると思われる。

一方、ヒト以外の動物には音楽がほとんど存在しない。鳥類や海獣類のなかには、発声を応用した「歌う」種がわずかにあるばかりである。また、これらのヒト以外の動物種による「歌う」行動は、音楽の一形態と解釈するよりは、別の機構から発現した類似の一形態と考える方が、多くの場合妥当である[注 1]。特に霊長類には、「歌う」種すら乏しく、ヒトの音楽の起源に関しては、独自の進化により獲得したものだと考えられる[注 2]

人類の音楽的能力が高いことに関しては、これまで幾つかの説が誕生している。ダーウィンは、性的衝動の表現として動物の鳴き声があり、音楽の上手い個体が異性に好まれるため、音楽的資質の高い遺伝子が選択されたという「性選択説」を提唱している。ただし、音楽の起源に関する遺伝的研究は未発展であり、全ての説がデータとして裏づけのない推察の上に成り立っており、仮説の域を出ていない[7]。またルソースペンサーヘルダーなどは人間の言語に注目し、言語がもっている音韻から派生して初期の音楽である歌が生まれたと見ている。この他にも音楽の起源をリズムとするヴァラシェク、労働という活動に起源を見出すビューヒャー、信号的要素を起源とするシュトゥンプフなどが主張を展開している。最近では、人類の言語に対する認知能力が進化するにともない、それが副産物的な能力として人類の音楽的能力も高めたという「帰無仮説(null hypothsis)」も有力とされている。

エドワード・サピアは『言語』で言語の起源の一つに音楽をあげているが、言語の起源と同様に証明することは不可能である。オリバー・サックスは対談で『レナードの朝』で出てきた嗜眠性脳炎の患者は音楽が鳴っている間は、ダンスをすることも歌うこともできるが、音楽が消えるととたんにその力も消えるという。嗜好があるが、リズムとテンポという音楽のビート(拍子)の部分が重要で、ビートに反応する他の霊長類はないという[8]
西洋音楽史

ここでは、主にはヨーロッパを起源とする西洋音楽、特にクラシック音楽の歴史を解説する。楽譜の歴史については「楽譜」を、年表については「西洋音楽年表」を参照のこと。
古代西洋音楽詳細は「古代西洋音楽」および「古代ギリシアの音楽」を参照

古代西洋音楽は6世紀以前の西洋音楽である。記録が乏しく実態は推測の域を出ない。しかし古代ギリシアの音楽理論や用語が現在まで残っており、特にピタゴラスが考案したとされるピタゴラス音律は、その後の西洋音楽の音階の基本となった。
1世紀まで

シタールのための二つの前奏曲と「セイキロスの墓碑銘[注 3]
2世紀

クレタ島、メソメデの「太陽への賛歌」「ネメシスへの賛歌」
3世紀

「三位一体に捧ぐヒムヌス」[注 4]
4世紀

聖ヒラリオの「ヒムヌス」
5世紀

聖アウグスティヌスの「エンナラティオーネ・イン・プラス(詩編集)」
6世紀

カッシオドルス・セナトル(Cassiodorus Senator, 485年頃 - 585年頃)[注 5]の「聖学ならびに世俗的諸学綱要」[注 6]
中世西洋音楽詳細は「中世西洋音楽」を参照

中世西洋音楽は、6世紀頃から15世紀にかけての音楽の総称である。9世紀頃にグレゴリオ聖歌ネウマ譜で記録されるようになった。1200年前後にノートルダム楽派によってポリフォニーが開拓された。14世紀にはイソリズムなどの高度なリズム技法によるフランスアルス・ノーヴァの音楽、優美な旋律を特徴とするイタリアトレチェント音楽が栄えた。また、ジョングルール(大道芸人)、トルバドゥールトルヴェールミンネジンガー吟遊詩人、宮廷歌人)などの世俗音楽も記録に残り始める。和声は5度を基本としており、3度や6度は不協和音という扱いであった。
7世紀

ザンクト・ガレン修道院が設立される。ネウム(ネウマ譜)で記譜されたトロプス、プローズ、セクエンツィア
8世紀

コンスタンティノス5世ギリシア語:Κωνσταντ?νο? Ε? ? Κοπρ?νυμο?, K?nstantinos V ho Kopr?nymos)による教会オルガンの導入。


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