韮山県(にらやまけん)は、慶応4年(1868年)に駿河国、相模国、武蔵国、甲斐国内の幕府領・旗本領および伊豆国一円(伊豆諸島も含む)を管轄するために明治政府によって設置された県。管轄地域は現在の静岡県、神奈川県、埼玉県、山梨県、東京都多摩地域にあたる。 江戸幕府の韮山代官所の管轄下にあった幕府領・旗本領の一部を管轄するために設置。同時に伊豆国一円(伊豆諸島も含む)も管轄した。知県事は韮山代官の江川英武が引き続き務めた。 明治4年(1871年)、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い相模国、伊豆国内の3県が足柄県に統合されたことにより廃止された。 甲斐国(旧田安徳川家領)、駿河国を管轄した時期もあるが、「旧高旧領取調帳」では既に静岡県、甲府県の管轄となっているため、詳細は不明である。なお相給も存在するため、村数の合計は一致しない。
概要
沿革
慶応4年(1868年)
6月29日 - 伊豆国田方郡韮山町(伊豆の国市韮山韮山1)にある韮山代官所に韮山県を設置。幕府領であった伊豆諸島も管轄。
12月 - 相模国鎌倉郡、三浦郡の管轄地域を新設の神奈川県に移管。
明治2年(1869年)
多摩郡の管轄地域のごく一部を川越藩、西端藩に移管。
1月13日 - 品川県との間で多摩郡の管轄地域の調整が行われる。
4月10日 - 品川県に多摩郡を移管し、品川県から入間郡・高麗郡・比企郡を、大宮県から比企郡をそれぞれ移管される[1]。
明治4年(1871年)11月14日 - 第1次府県統合により相模国、伊豆国内の3県が合併して足柄県が成立[2][3]。同日韮山県廃止。武蔵国は新設の入間県に移管。
1876年(明治9年)4月18日 - 第2次府県統合により足柄県の相模国が神奈川県に、伊豆国が静岡県に編入。同日足柄県廃止[4]。
管轄地域
伊豆国一円
田方郡 - 70村(韮山代官所15村、旗本領39村、沼津藩領7村、小田原藩領7村、荻野山中藩領14村)
君沢郡 - 70村(韮山代官所12村、旗本領32村、沼津藩領11村、小田原藩領13村、荻野山中藩領14村)
賀茂郡 - 129村(韮山代官所31村、旗本領77村、沼津藩領14村、掛川藩領21村、荻野山中藩領5村)
那賀郡 - 18村(旗本領10村、掛川藩領8村)
伊豆諸島(幕府領)
武蔵国
入間郡のうち - 108村(幕府領50村、旗本領70村、久留里藩領1村)
高麗郡のうち - 91村(幕府領42村、旗本領40村、一橋徳川家領14村、前橋藩領1村)
比企郡のうち - 82村(幕府領38村、旗本領55村。品川県、浦和県からの移管地域もあるが、「旧高旧領取調帳」では既に韮山県と記載されているため詳細は不明)
多摩郡のうち - 87村(幕府領87村、旗本領11村。一部を品川県に編入)
歴代知事
明治2年(1869年)6月10日 - 明治4年(1871年)11月13日 : 知事・江川英武(前韮山代官)
脚注[脚注の使い方]^ 武蔵国所在ノ韮山県以下ノ管地ヲ交換ス
^ 明治4年(1871年)9月 (旧暦)にいったん小田原県に編入されたとする資料もあり。“ ⇒神奈川県の県名由来・立庁記念日”. 2015年5月12日閲覧。 - 神奈川県
^ 明治4年太政官布告第594号
先代
韮山代官所
(武蔵国、伊豆国内等の幕府領・旗本領)伊豆国一円
(諸藩領、伊豆諸島)行政区の変遷
1868年 - 1871年次代
足柄県
(武蔵国は入間県に編入)
表
話
編
歴
府藩県三治制(1868年 - 1871年)
府
箱館府
江戸府 → 東京府
神奈川府
越後府 → 新潟府
甲斐府
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度会府
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