韓鶴子
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ハン・ハクチャ
韓 鶴子 
2006年ハンガリーブダペストにて
生誕 (1943-02-10) 1943年2月10日(81歳)
日本統治下朝鮮 平安南道
別名マザームーン、真のお母様、オモニ、オモニム
肩書き世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会。通称: 統一教会、統一協会)教祖世界平和女性連合天宙平和連合総裁
配偶者文鮮明(1960年 - 2012年)
子供文譽進(???)
文孝進(???)
文惠進(???)
文仁進(???)
文興進(???)
文恩進(???)
文顕進(???)
文國進(???)
文權進(???)
文善進(???)
文榮進(???)
文亨進(???)
文妍進(???)
文情進(???)
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韓 鶴子
各種表記
ハングル:? ??
漢字:韓 鶴子
発音:ハン・ハクチャ / ハナクチャ
日本語読み:かん かくし
ローマ字:Han Hak-ja(2000年式
Han Hak-cha(MR式
英語表記:Hak Ja Han
Hakja Han Moon
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韓 鶴子(朝鮮語: ? ??、ハン・ハクチャ、1943年2月10日陰暦1月6日) - )は、世界平和統一家庭連合(旧・世界基督教統一神霊協会。通称: 統一教会、統一協会)の教祖文鮮明の三番目の妻。世界平和統一家庭連合の総裁[1]。関連団体である世界平和女性連合天宙平和連合の総裁。本貫清州韓氏[2]
人物

金聖道率いる朝鮮独自のキリスト教の一派、聖主教の信者であった母の洪順愛(ホン・スネ)が宗教活動に熱中していたため、祖母に育てられたという。やがて順愛は文鮮明を「再臨メシア」と信じる世界平和統一家庭連合の熱心な信者となり、その影響により世界平和統一家庭連合の教えに触れた。17歳のとき、当時40歳であった文鮮明の伴侶として選ばれた。

結婚当時、文鮮明は伴侶が誰か分からない中、天の命によって結婚の準備をしていたが、多くの世界平和統一家庭連合の信徒達の夢に、韓鶴子が配偶者であると明らかにされ、1960年3月27日(陰暦3月1日)に婚約して、4月11日に結婚した[3]

統一教会においては歴史上初めて完成した女性として全人類の「真(まこと)の母」と意義付けされ、教団内では「真のお母様」と呼ばれる。「真の父」であるとされる夫の文鮮明とともに呼ぶときは「真の(御)父母様」(正式には「天地人真の父母様」)と呼ばれる[4]

文鮮明との間に14人の子供(4人は既に他界)と多くの孫を持つ。

1990年頃までは文鮮明と同行して活動することが多かったが、1991年の「世界平和アジア婦人連合」(後の「世界平和女性連合」)創設以降、世界各地を講演で訪問するようになった。また、出入国管理法の規定で日本に入国できない夫の代わりに度々来日している。
来歴

1943年
2月10日陰暦では1月6日)の午前4時半に、日本併合時代の朝鮮半島平安南道の安州の信里という村(現在は北朝鮮領)に韓承運(ハン・スンウン)と洪順愛(ホン・スネ)の一人娘として生まれる(陰暦の1月6日は夫、文鮮明と同じ誕生日[注 1])。洪家の家系は三代続けて娘一人の家系であるという。父親「とされる」韓承運は婿養子になるのを拒否して鶴子がお腹にいる7か月のときに出て行ったという。

1951年(8歳)
1月4日 朝鮮戦争の最中、江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)市に一時寄居し、そこの小学校に通う[5]

1955年(11歳)
母、順愛が初めて文鮮明と面会する[3]

1955年(12歳)
母と共にソウル転居[6]

1956年(13歳)
3月 小学校を卒業。ソウルの龍山区青波洞(チョンパドン)の世界平和統一家庭連合本部で文鮮明と初めて出会う[5]

済州島で暮らす。「孝敦(ヒョウドン)初等学校」に通う。 母親の洪順愛は熱心なキリスト教徒であったとされ、金聖道(キム・ソンド)の聖主教団や、腹中教などの教団を経てこの済州島で伝道され、世界平和統一家庭連合(統一協会)の信仰を持つようになる。 母親が教会で奉仕生活(文鮮明の食事係)をするため鶴子と祖母は順愛の弟に引き取られた。

ソウルの「善正(ソンジョン)女子中学」を卒業。カトリック系統の「聖ヨセフ病院」の看護補助員となる[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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