韓延之
[Wikipedia|▼Menu]

韓 延之(かん えんし、生没年不詳)は、東晋から北魏にかけての官僚軍人は顕宗。本貫南陽郡堵陽県
目次

1 経歴

2 妻子

2.1 妻

2.2 子


3 伝記資料

経歴

司徒韓曁の後裔にあたる。東晋の安帝のとき、建威将軍・荊州治中となり、平西府録事参軍に転じた。415年義熙11年)、劉裕司馬休之を討つにあたって、劉裕は延之のもとにひそかに信書を送って招こうとしたが、延之は激越な言葉で罵って断り、司馬休之に従った。司馬休之が敗れると、延之はともに後秦に亡命した。417年泰常2年)、司馬文思らとともに北魏に帰順した。延之は虎牢鎮将となり、魯陽侯の爵位を受けた。再び洛陽に都が置かれる日の来ることを予見して、死後は柏谷塢に北向きに葬るよう遺言した。死去すると、遺言に従って魯宗之の墓のそばに葬られた。
妻子


羅氏(前妻、韓措を生んだ)

拓跋氏(後妻、淮南王の娘、韓道仁を生んだ)



韓措(父に従って北魏に入った、正嫡を弟の道仁に譲った)

韓道仁(嫡子、魯陽侯の爵位を嗣ぎ、殿中尚書、西平公に進んだ)

伝記資料

晋書』巻37 列伝第7

魏書』巻38 列伝第26

北史』巻27 列伝第15


更新日時:2019年6月12日(水)07:27
取得日時:2019/07/15 17:56


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:2968 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef