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出典検索?: "大韓民国気象庁"
気象庁
各種表記
ハングル:???
漢字:氣象廳
発音:キサンチョン
日本語読み:きしょうちょう
英語表記:Korea Meteorological Administration
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冠岳山気象レーダー
気象庁(きしょうちょう、Korea Meteorological Administration)は韓国の環境部傘下の国家行政機関。役割は日本の気象庁とほぼ同じ。1990年12月に中央気象台から気象庁へと昇格した。本庁はソウル特別市銅雀区気象庁通り45にある。
沿革
前史
朝鮮における近代的気象観測の始まり
1884年6月 - 日本内務省地理局(後の中央気象台)が、釜山の電信局員に気象観測を依託[1]。
1886年 - 仁川広域市、釜山、元山の税関が気象観測を開始する[1]。
1887年 - ロシア公使のカール・イバノビッチ・ヴェーバーが京城に気象機器を設置[1]。
1897年 - ロシア政府が仁川港小丘上に観測所を設置し、気象信号を開始[1]。
気象観測事業の始まり
1904年3月 - 日露戦争に際し、日本軍の要求によって、大日本帝国文部省が釜山、木浦、仁川広域市、龍岩浦、元山に臨時観測所を設置し、中央気象台に臨時観測所官制が施行された (明治三十七年三月勅令第第六〇号)[2][3][4][1]。
1905年1月 - 文部省が城津に臨時観測所を設置[1]。
1907年2月 - 大韓帝国政府が農商工部に観測所官制を施行し、京城、平壌、大邱の三個所に観測所を設置[4][1]。事業の監督を統監府観測所に依託[1]。
1907年3月 -臨時観測所官制が廃止され[1]、統監府観測所官制が定まり[4]、気象観測事業が統監府に移管された[3][4]。仁川臨時観測所が観測所となり、残りの臨時観測所は観測支所となった[4]。
1908年4月 - 統監府観測所官制が廃止され、農商工部が釜山、木浦、仁川、龍岩浦、元山、城津の六個所の統監府観測所を無償で借り受けることとなった[5][2][4]。
1910年10月1日 - 日韓併合により、気象観測事業が朝鮮総督府通信局に移管された[6]。
1911年10月 - 江陵に測候所が設置される[1]。
1912年4月 - 気象観測事業が通信局から内務部の学務局に移管された[7]。
1914年5月 - 雄基と中江鎮に測候所が設置される[1]。
1916年前後 - 全鮮の気象観測網が完成[3]。
1924年10月 - 観測所に無線受信装置を設置[8]。日本内地の中央気象台および海洋気象台、沖縄、大連、樺太の大泊等からの気象通報を受信して、天気予報に活用しはじめた[8]。
1931年1月 - 龍岩浦の測候所が新義州に移転される[1]。
1933年8月 - 観測所に短波受信器を設置[8]。中国、南洋諸島、シベリアの観測データを取得して、天気予報に活用しはじめた[8]。
1945年9月 - 大日本帝国、敗戦により朝鮮の解放を要求され受諾。
発足後
1949年8月 - 国立中央観象台発足。
1963年2月 - 国立中央観象台を中央観象台に改称。
1967年4月 - 交通部から科学技術処に移管。