韓国正教会
[Wikipedia|▼Menu]

韓国正教会大教区(コンスタンティノープル総主教庁韓国府主教区)
各種表記
ハングル:?? ??? ???
漢字:韓國正ヘ會大ヘ區
発音:ハングッチョンギョフェデギョグ
日本語読み:かんこくせいきょうかいだいきょうく
ローマ字:Hanguk Jeonggyohoe Daegyogu
英語:Orthodox Metropolis of Korea
テンプレートを表示

韓国正教会府主教座聖堂ソウル聖ニコラオス大聖堂

韓国正教会大教区は、韓国における正教会府主教区コンスタンティノープル総主教庁の管轄下にある。運営財団法人(公益法人)は韓国正教会維持財団[1]

府主教座聖堂は、ソウル特別市ソウル聖ニコラオス大聖堂2018年時点での信徒数は約4,000人[2]

なお、ここでは、上記府主教区の他にモスクワ総主教庁管轄下にある北朝鮮における正教会についても扱う。
歴史
モスクワ総主教庁管轄下 (1900年 - 1955年)

[3]韓国の正教会は掌院クリサントス・セトコフスキーが1900年に在韓ロシア人正教徒とロシアで洗礼を受けた韓国人正教徒を牧会するために来韓したことを起源とする。1903年には漢城府(現在のソウル)に聖ニコライ聖堂(現在の聖ニコラオス大聖堂とは別。後述)が建ち、伝道が始まった。所属は、当初、サンクトペテルブルク府主教区、1908年よりウラジオストク主教区であった。

ところが、1917年ロシア革命が勃発すると、モスクワ総主教庁からの支援が絶たれ、韓国の正教会は苦難の道を歩まねばならなくなった[4]。この情勢下において、韓国の正教会は1921年に、東京大主教区1931年より東京府主教区)管轄下となった。ただ、日本内地では、1940年宗教団体法によって、日本人以外の宗教団体統括者はその地位を追われることとなったが、韓国では、1949年掌院ポリカルプ(プリイマク)がソビエト連邦スパイ容疑で韓国警察に逮捕・追放されるまで、ロシア人聖職者が韓国の正教会を導き続けた。だが、1950年朝鮮戦争が勃発し、当時唯一の神品であった司祭アレクセイ金義漢(???:キム・ウィハン)が北朝鮮に拉致されるに及んで、韓国の正教会は完全に活動停止に追い込まれるに至った。

その中にあって、司牧支援を行ったのはギリシャ軍の従軍司祭達であった。掌院アンドレアス・ハルキオブロスは、破損した聖ニコライ聖堂を修復し、司牧活動を行った。また、1954年1月に、ボリス文履春(???:ムン・イチュン)を日本密航させ[5]東京でイリネイ主教(肩書当時)[6]から神品機密が受けられるように取り計らった。この流れもあって、1955年[7]降誕祭後の信徒総会でコンスタンティノープル総主教庁管轄下に移ることを満場一致で決議し、韓国の正教会はモスクワ総主教庁からコンスタンティノープル総主教庁の管轄下に移ることとなった。
コンスタンティノープル総主教庁管轄下 (1955年 - )

1956年からアメリカ大主教区の管轄下に入り、韓国の正教会は新局面を迎えることとなった。聖ニコライ聖堂の敷地は韓国政府に没収されそうになったが守り通し、新たに購入した麻浦区の土地に1968年ビザンティン様式のソウル聖ニコラオス大聖堂を建設・移転し、現在の韓国正教会の基礎が形成された。

躍進が始まったのは、1970年にニュージーランド府主教区の管轄下に入ってからである。ディオニシオス府主教[8]の司牧下のもと、1975年に掌院ソテリオスが韓国に派遣され、1980年釜山を皮切りとして、韓国の正教会は初めてソウルを越え、韓国の主要部に宣教された。そして、2004年4月20日に、韓国の正教会は初めて独立した府主教区である韓国大教区を設立。ソテリオス主教が府主教に昇叙され、同年6月20日に着座した。なお、現在の府主教は2代目のアンヴロシオス

コンスタンティノープル総主教ヴァルソロメオス1世は、1995年2000年2005年2018年の4度にわたって韓国を訪問した。
北朝鮮における正教会平壌にあるロシア正教会至聖三者聖堂(貞栢寺院)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef