鞆の浦埋立て架橋計画問題
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鞆港の上空写真。国土交通省国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成1981年撮影であるが、現在とほぼ同じ。左上に途中まで建設されて延長計画が放棄[注 1]された道路が写っている。 南西側から見た鞆港。画面左半分の海岸沿いを埋立て、それより右に続く部分を架橋方式で県道バイパスを建設する計画。

鞆の浦埋立て架橋計画問題(とものうらうめたてかきょうけいかくもんだい)とは、広島県福山市鞆町にある県道バイパス建設計画の是非を巡る議論や論争である。

地元福山市は計画推進の意向であるが、2009年11月から広島県知事となった湯崎英彦は計画見直しを示唆、2016年2月に広島県は埋め立ての免許交付申請を取り下げる意向を示し、一連の訴訟が終結[1]。2012年6月には広島県当局が架橋計画の中止とともに山側にトンネル掘削して道路整備おこなう意向を固め、建設事業は事実上頓挫した。全ての座標を示した地図 - OSM
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目次

1 背景

1.1 計画から四半世紀後の道路状況

1.1.1 ギャラリー



2 年表

3 計画の概要

3.1 埋立て架橋案

3.2 山側トンネル案

3.3 埋立て沈埋トンネル案


4 計画に対する賛否

5 計画の経緯

5.1 事業の進行

5.2 反対運動

5.3 事業の停滞

5.4 事業の見直し


6 鞆港埋立・架橋差し止め訴訟

6.1 訴訟の争点

6.2 訴訟の経過

6.3 一審判決

6.4 控訴審


7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 関連項目

9 外部リンク

背景

鞆町の道路は大部分が江戸時代から継承されたものであるため、幅員狭小、クランクの存在など車の円滑な通行に支障をきたす箇所が多く存在していた。この為、広島県と福山市は、1983年(昭和58年)に鞆地区を東西に結ぶ県道47号線バイパス(地図?地図)の建設を計画した。この計画は港の両岸を埋立てと橋梁によって結び、同時に下水などのライフラインや近代的港湾施設や公園などの整備も行い地域活性化を図るものであった[2]。なお、この計画のたたき台の素案として、市街地の主要道路拡幅整備案。トンネルによる市街地を避けるバイパス案。護岸を兼ねた沿岸埋立道路案の大きく3つの案があったが、意見集約の間に市街地景観の保護の観点から中心部の道路拡幅反対意見。建設費が高額という事からトンネルバイパス案の反対意見。沿岸景観を壊すという事から沿岸埋立道路への反対意見があった。この案は、沿岸埋立道路案に沿岸景観配慮の架橋を追加、これによって高騰化する建設費は、防災・観光に利用できる施設を併設する事業による集約化の結果である、という折衷案であった。

しかし、景観保護などからこの計画に反対する住民もいたため、埋立て面積の縮小や橋梁部のトンネル化などが検討され、1995年(平成7年)に埋立て面積を半分に縮小する計画へと変更された。


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