革脚絆物語
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ジェイムズ・フェニモア・クーパー.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学

革脚絆物語、または、レザーストッキング物語(かわきゃはんものがたり、レザーストッキングものがたり、Leatherstocking Tales)は、アメリカ作家ジェイムズ・フェニモア・クーパーにより1823-41年に発表された小説五部作で、主に18世紀のニューヨーク州イロコイ地域の開拓時代が舞台となっている[1][2]。各作品はヨーロッパ系アメリカ人入植者ナッティ・バンポーをめぐる物語で、彼は「革脚絆」「パスファインダー」「罠師」、ネイティブアメリカンからは「鹿殺し」「長い銃」「ホークアイ」と呼ばれる人物である。クーパーの代表作であり、その後の西部劇の源泉となったとも言われ[3]、またナッティ・バンポーはアメリカン・ヒーローの原型とも言われる[4]
作品と出版経緯・評価『開拓者たち』1823年版表紙

出版年と、舞台となった時代(順番)は下記。年号は作中に明示されるか、背景となっている歴史上の事件からの推測だが[3]、現実と矛盾した設定もある[5][6]

『開拓者たち』The Pioneers, or the Sources of the Susquehana; A Descriptive Tale 1823年(1793年が舞台(4))

モヒカン族の最後』The Last of the Mohicans: A Narrative of 1757 1826年(1757年が舞台(2))

『大草原』The Prairie: A Tale 1827年(1804年が舞台(5))

『パスファインダー』The Pathfinder, or The Inland Sea 1840年(1759年頃が舞台(3))

『ディアスレイヤー』The Deerslayer, or The First War-Path 1841年(1744年頃が舞台(1))

クーパーは、毎晩妻のために朗読していたイギリスの家庭小説をつまらないと口走ってしまったことがきっかけで処女作を執筆することになったが、第三作『開拓者たち』については自分自身の楽しみのために書いたと述べている[7]。以後もシリーズの全体計画があったのではなく、一作ごとに新たな構想によって執筆されたもので、クーパーのヨーロッパ滞在(1826-33年)ののちに書かれた『パスファインダー』『ディアスレイヤー』では歴史への言及は一般化(抽象化)されていく[3]。また少年期におけるニューヨーク州クーパーズタウンでの開拓生活の中で、森林や荒野に親しみ、周辺のネイティブ・アメリカンの生活を見たり聞いたりしてきたことも作品に生かされている[8]

ナッティ・バンポーの人物像の一部は、探検家のダニエル・ブーンやデイビッド・シップマンの影響を受けていると言われている[9]ルカーチ・ジェルジュはバンポーについて、ウォルター・スコット作品の「社会の先端には位置せず、歴史上の事件に直接関わってはいないが、その社会的及び文化的な分析のためには役立つ、中間的な人物」に例えた[10]

あまりに広い人気を得たために、現代では子供向けの物語、大衆文化に属するとみられることも多く、学問的な研究の対象として取り上げられることも少なかった。これらの作品でクーパーはアメリカの国民的作家としての地位を築き、また森やネイティブ・アメリカン、開拓者の冒険や恋愛を扱った、きわめてアメリカ的テーマとしてヨーロッパでも広く読まれ、フランク・ルーサー・モット『黄金の大衆』(1847年)の1820-40年代のベストセラーリストでは革脚絆物語を含むクーパーの7作品が含まれており、当時クーパーについて「スコットよりも優れている」「時代を代表する偉大なるロマンス作家」と評する批評家もいた[11]。その人気はウォルター・スコットと競うほどで、ゲーテバルザックに感銘を与え、コンラッドも影響を受けたことを認めている。アメリカが抱えている問題を「建国前の歴史に遡って取り組み、独自の視点から捉えて、いまなお示唆に富む洞察を見せてくれる」とも評価される。

ネイティブ・アメリカンの描写の誤りはしばしば指摘されているが、クーパーは作家の想像力に委ねられることの正当性を主張しており、これはウィリアム・ギルモア・シムズによる、アメリカの叙事詩的な国民文学のために必要と説いたことと関連している[11]。文体は「洗練とはほど遠い不器用な文章」としてマーク・トウェインらからも批判されているが、自然描写の絵画的表現はハドソン・リバー派の画家たちを触発し、作中の場面を描く絵画も多く制作されてきた。[3]ネイティブ・アメリカンに捕らえられた白人を救出する冒険アクション小説という構成は、ダイムノヴェルとしてベストセラーとなった、アン・S.スティーヴンズ『マラエスカ 白人ハンターのインディアン妻』(1860年)、エドワード・S.エリス『セス・ジョーンズ フロンティアの捕虜』(1860年)などで踏襲された[11]。またナッティ・バンポーは、「自由な生き方そのものの象徴として大衆のヒーローになり得た」のであり、のちのウェスタン・ヒーローの系譜に続くものともされる[12]
登場人物『モヒカン族の最後』挿絵(1897年版)のアンカス


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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