革新党
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この項目では、1927年に革新倶楽部立憲政友会への合流に反対した議員が結成した革新党について説明しています。

アメリカで1912年にT・ルーズベルト元大統領らが結成した「革新党」とも訳される政党については「進歩党 (アメリカ 1912)」をご覧ください。

社会民衆党の書記長などを務めた後、右翼国家社会主義に転向した赤松克麿らが1937年に結成した政党については「日本革新党」をご覧ください。

1947年に社会党を離党した議員らが結成した、後に総理自民党総裁に就任した鈴木善幸も所属した政党については「社会革新党」をご覧ください。

日本政党革新党
かくしんとう
成立年月日1927年(昭和2年)6月3日
前身政党革新倶楽部(一部)
解散年月日1932年(昭和7年)7月25日
後継政党国民同盟
政治的思想・立場革新
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革新党(かくしんとう)は、昭和初期(1927年6月3日 - 1932年7月25日)に存在した政党。

1925年5月10日革新倶楽部立憲政友会と合同(正式な合同は14日)したが、この合同に反対した尾崎行雄清瀬一郎左派系は政友会への加入を拒否して一旦無所属となる。その後、30日に小政党・中正倶楽部とともに院内会派である新正倶楽部を結成した。

だが、左派系の中でも足並みが揃っていた訳ではなく、昭和に入った1927年に尾崎らと決別した関直彦・清瀬一郎・大竹貫一らは新党結成を模索、同年6月3日に革新党が結成された。

選挙粛正のための公営選挙導入を支持するなど、急進的な政治改革論を唱えていたが、議員数は数名に留まった。1932年安達謙蔵の協力内閣運動に呼応して7月25日解散して安達の新党である国民同盟に合流した。










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