非線形の語り口(ひせんけいのかたりくち、英: nonlinear narrative, disjointed narrative, disrupted narrative)は、文学、映画などに用いられる物語技法で、具体的には、出来事を時系列通りに記述しなかったり、因果関係が直接的でなかったり、並行したプロット、夢の挿入、劇中劇などがある。構造の模倣、記憶の再生、などを目的として使用される。 物語を最初からでなく途中から始める"イン・メディアス・レス"は古代からあり、紀元前8世紀のホメロスの叙事詩『イーリアス』で確立された[1]。紀元前5世紀頃に作られたインドの叙事詩『マハーバーラタ』はストーリーのほとんどをフラッシュバックで語っている。中世の『千夜一夜物語』のうち『シンドバッド』『真鍮の都』『三つの林檎』にはイン・メディアス・レスとフラッシュバックの両方が使われているが、これは『パンチャタントラ』にインスパイアされたものと言われる[2]。 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、モダニズム文学のジョゼフ・コンラッド、ヴァージニア・ウルフ、フォード・マドックス・フォード、マルセル・プルースト、ウィリアム・フォークナーらが前衛的な非線形の語り口を用いた[3] 主な作品を以下に挙げる。
文学
ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』 (1759-67)
トーマス・カーライル『衣装哲学』 (1833頃)
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』 (1847)
フォード・マドックス フォード『よき兵士』 (1915)
ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』 (1929)
サーデグ・ヘダーヤト『盲目の梟』 (1937)
ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』 (1922)と『フィネガンズ・ウェイク』 (1939)
ブライアン・オノラン
映画において非線形的構造を定義することは困難である。というのも線形のストーリーラインの中にも、フラッシュバック、フラッシュフォワードを用いることができるからである[5]。そうした中でも、非線形な語り口と言えるものは、オーソン・ウェルズ『市民ケーン』(1941年)とそれに影響を与えた『力と栄光』(1933年)、さらに黒澤明の『羅生門』(1950年)がある。 映画の非線形構造の実験は、サイレント映画の時代まで遡る。D・W・グリフィス『イントレランス』(1916年)、アベル・ガンス『ナポレオン
サイレントなど黎明期の映画
1959年以降のジャン=リュック・ゴダールの映画は非線形映画の発展において重要なものである。ゴダールはこう述べている。「映画に始まりと中間と終わりがなければいけないというのには同意する。しかし、順番はその通りである必要はない」[9]。ゴダールの『ウイークエンド』(1968年)はアンディ・ウォーホルの『チェルシー・ガールズ
(英語版)』(1966年)同様、出来事の時系列を無視したことで一見するとランダムに見える[10]。同じフランスのアラン・レネもまた『二十四時間の情事』(1969年)、『去年マリエンバートで』(1961年)、『ミュリエル (映画)(英語版)』(1963年)で語りと時間についての実験を試みた。イタリアではフェデリコ・フェリーニ『道』(1954年)『甘い生活』(1960年)『8 1/2』(1963年)『サテリコン』(1969年)『フェリーニのローマ』(1972年)、ロシアではアンドレイ・タルコフスキー『鏡』(1975年)『ノスタルジア』(1983年)で、イギリスではニコラス・ローグ『パフォーマンス(英語版)』(1970年)『美しき冒険旅行(英語版)』(1971年)『赤い影』(1973年)『地球に落ちて来た男』(1976年)『ジェラシー』(1980年)といった作品が非線形を特徴としている[11]。