非核三原則
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出典検索?: "非核三原則" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年9月)

非核三原則(ひかくさんげんそく)とは、核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」の三原則を指すもの。1967年(昭和42年)12月に内閣総理大臣佐藤栄作によって表明された核兵器を「持たず、つくらない、もちこませない」という三つの原則からなり[1]、3項目の表現は「持ち込まさず」「持ち込ませず」の2通りがある。1964年の中国の核武装を受けて、日本の核武装を主張していたはずの佐藤が1968年1月に国際的な核の脅威に対しては、「日米安全保障条約に基づくアメリカの核抑止力に依存する」と答弁している。背景には当時の一部自民党支持層にもアメリカ管轄下として核兵器の持ち込みが自由にされていると考えられたことで、核兵器が配置されたままでの小笠原諸島や沖縄など返還へ反対意見があったからである。沖縄返還を控えた1971年11月には、非核三原則を守るべきとする衆議院決議が採択され、歴代政権は表向きのみ三原則を堅持する立場を取ってきた[2]。ただし、実態は冷戦下の安全保障の実務においては無いものとされ、非核三原則以降も日本へのアメリカの原潜や核兵器の寄港・通過・補給が行われてきた。そのため、日本による核兵器の直接的保持・生産はされていないものの、アメリカの核の傘を利用するため、日本政府のスタンスは1971年以降どの政権も「日本独自の核武装や敵の自国国土侵略時に使用可能な戦術核の共有はしない」「非核三原則を守るのか、国民の命を守るのかという厳しい状況になった時、この判断を時の政権がして、議論自体は縛ってはいけない」という具合になっている[3][4]

核共有でアメリカから共有される核兵器は爆撃機で投下するような自国に攻め込んできている敵相手に事実上自国・自国と主張する領土[注 1]内で起爆させる射程の短い戦術用核兵器であるため、戦略核兵器保有国の核兵器のように距離の離れた他国ヘの報復には使用出来ないとして、核抑止力を持たない単なる実用兵器との意見もある。理由として、核共有とはヨーロッパ方面を含めたソ連との全面戦争を想定し、通常の実用兵器と同感覚で大量に使用する方針で、核共有した同盟国の領土(自国と主張する領土を含む)への攻撃時に、核の発射判断と責任を委ねる仕組みとなっているからである[5]。1968年7月1日のNPTによって、署名時点で核兵器未保有国家独自の核の保持・製造は禁止されているが、同条約は署名国が「条約に基づく核保有国」と核兵器を共有することは違法としてないため、(西)ドイツやイタリアなどNATO加盟国を中心に締結国も「核の傘」だけでなく、「核の共有」を行ってきているが[6]、1950年代後半から1960年代前半にかけて議論された、戦略核共有する多角的核戦力構想(MLF:The Multilateral Force)は頓挫している。MLFは多国間で共有する方法なので、類似制度を日米両国の間で運用しても結局日本領土・領海外への攻撃時には単独の意志で使用することは出来ない[5]。そのため、NPTの第10条1項で「自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」と核武装の禁止の例外を許可していることから、国際法に従った日本独自の核武装論もある[7]。日本政府も2010年の民主党政権(菅直人政権、外務大臣である岡田克也の国会答弁)、2014年の自民党でも非核三原則自体は堅持するものの、有事が起き、国家の存立危機となった場合の日本への同盟国の核の持ち込みには反対しないと表明している[4][8]
概要

日米安保条約の改定を1960年昭和35年)に控えた内閣の頃から、日本の核政策が議論されるようになった。背景には米ソの冷戦と冷戦時代の核競争による核攻撃の危惧がある。当時も現在も核保有国では、核攻撃に対しては核による反撃能力つまり核抑止力を持つことが国際的に最も有効な回避手段とされており、核武装または核の傘による抑止力を持つことが一般的である。また日米安全保障条約では、アメリカ合衆国に日本防衛の義務は課されているが、アメリカ合衆国は核報復義務条項は存在しない。しかし、後の1964年の中華人民共和国の核武装を受けた、佐藤栄作首相から核武装主張が起きた。日本政府による日本核武装主張を受けて、1965年にアメリカのリンドン・ジョンソン大統領によって、日本防衛のための核の傘提供が約束された。NHKによると、アメリカは佐藤栄作首相の非核三原則表明以降も原潜・核兵器の日本への寄港・通過を要求していた。日本も本音では核兵器を求めていたため、両者同意の下でアメリカの原潜・核兵器が日本国内で運用されている。そのため、実際には「持ち込ませず」は、最初から「アメリカの核の傘を用いながら、日本独自の核配備と核の共有はしない」という程度にしか適用されていなかった[3]
経緯

1954年(昭和29年)、八木秀次議員ほか26名の議員から参議院に原子力国際管理並びに原子兵器禁止に関する決議案が提出された。同年4月5日、同法案は全会一致で可決された[9]。次いで、1955年(昭和30年)12月15日参議院商工委員会での原子力基本法の審議で、中曽根康弘議員が「原子力燃料を人間を殺傷するための武器としては使わない」と答弁して、「核兵器を作らず」の原則について、与野党の合意が形成された[10]
岸信介による答弁

1957年(昭和32年)2月5日の衆議院本会議で、アメリカ軍の原子力部隊構想への政府の対応を問う質問があり、岸信介内閣総理大臣臨時代理・外務大臣は、 原子部隊の問題につきましては、これは新聞の誤まった報道がいたく国民の気持ちを刺激したと思いますが、責任ある国務省及び国防省は、これは事実ではないということを言明いたしております。また、そういう場合におきましては、すべて日本政府と話し合いをすることになっております。私どもは、あくまでも、日本国民の考えや、各種の日本の自主的な立場から、この問題に対する日本の態度をきめたいと考えております。

と答弁した[11]が、事前協議にどのように対応するかを明確にしてほしいという質問に、2月8日衆議院予算委員会で、 なお和田君の御質問のごとく、日本の国民の感情からいい、また防衛の態勢からいって、日本に原子爆弾を持ち込むというような事柄はいかなる意味においてもこれは適当でないというお考えに対しましては、私は全然同感でありまして、また先日来質問がありましたアメリカの原子部隊と称せられるものの日本への進駐の問題については、私はしばしば答弁をいたしましたように、事実は新聞で伝えられているような事実でない、責任ある国防省及び国務省もこれを否定しているし、従ってこの際日本がすぐ抗議を申し込むとかなんとかいう時代ではない、相談がいずれあるから、相談された場合においてわれわれは自主的な立場でこれを考えたいと申しておりますが、しかしお話のごとく、私はこの原子部隊を日本に進駐せしめるというような申し出がありました場合においても、政府としてこれに承諾を与える意思はもっておりませんから、そのことは明瞭に申し上げます。

と答弁して[12]、「核兵器を持ち込まさず」の原則について初めて明確にした。

1957年(昭和32年)5月7日参議院予算委員会で、内閣総理大臣岸信介は、自衛権を裏づけるに必要な最小限度の実力であれば、私はたとえ核兵器と名がつくものであっても持ち得るということを憲法解釈としては持っております。しかし今私の政策としては、核兵器と名前のつくものは今持つというような、もしくはそれで装備するという考えは絶対にとらぬということで一貫して参りたい。

と答弁し[13]、「自衛権の範囲内であれば核保有も可能である」という憲法解釈を示しつつ、政策的には「核兵器を持たず」の原則を答弁した。

1957年(昭和32年)5月15日に政府の統一見解として「原水爆を中心とする核兵器は自衛権の範囲に入らないが、将来開発されるものなどをことごとく憲法違反とするのはいきすぎである」と表明。なお、同日、イギリスがクリスマス島で初の水爆実験に成功している。

中華人民共和国による台湾攻撃

1958年(昭和33年)8月23日中国人民解放軍台湾の金門守備隊に対し砲撃を開始(金門砲戦)し、第二次台湾海峡危機が勃発する。中共軍は、44日間に50万発もの砲撃を加えた。中華民国側は9月11日に中国との空中戦に勝利し、廈門駅を破壊するなどの反撃を行った。この武力衝突でアメリカは台湾を支持するが、10月6日には中国共産党が「人道的配慮」から金門・馬祖島の封鎖を解除し、一週間の一方的休戦を宣言し、アメリカとの全面戦争を避け、アメリカもダレス国務長官を通じて台湾に対して金門・馬祖島まで撤収のを条件に、援助すると伝えたところ、?介石は10月21日からの三日間の会談で、アメリカの提案を受け入れるが、中国大陸反撃を放棄しない旨もアメリカへ伝えた。この中共による台湾攻撃は、原子力潜水艦関連の技術をソ連から供与してもらうことが目的だったとされる[14]

こうした緊迫する東アジア情勢をうけて、岸は1959年(昭和34年)3月2日の参議院予算委員会でも「防衛用小型核兵器は合憲である」との判断を明らかにした。


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