静忠(じょうちゅう、建久元年(1190年) - 弘長3年10月2日(1263年11月4日))は平安時代後期から鎌倉時代中期にかけての天台宗の僧。近衛基通の子。西院を号した。
に従って出家[1]。権僧正に昇り、嘉禎元年12月(1236年1月)に三井寺の長吏に補任。嘉禎2年(1236年)3月、権法務に任ぜられた。また、寛元3年(1245年)3月10日、後嵯峨天皇の護持僧となり、牛車を聴された[2]。4日後の14日には護持僧として五壇法を修した。弘長3年(1263年)10月2日、74歳で入寂した。
脚注^ 『猪隈関白記』正治3年2月26日、同年10月11日条。
^ 『続群書類従 護持僧次第』後嵯峨院。
更新日時:2014年1月19日(日)13:43
取得日時:2019/08/14 19:28