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この項目では、企業について説明しています。この会社が運営している鉄道路線については「静岡鉄道静岡清水線」をご覧ください。
静岡鉄道株式会社
Shizuoka Railway Co.,LTD.
静鉄鷹匠ビル
種類株式会社
略称静鉄
本社所在地 日本
〒420-8510
静岡県静岡市葵区鷹匠一丁目1番1号
静鉄鷹匠ビル[1]
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度58分33.1秒 東経138度23分15.2秒 / 北緯34.975861度 東経138.387556度 / 34.975861; 138.387556
静岡鉄道株式会社(しずおかてつどう、英: Shizuoka Railway Co.,LTD.[4])は、静岡県静岡市に本社を置き[1]、鉄道路線として静岡清水線を保有し運営している[5][6]鉄道事業者(中小私鉄)。略称は静鉄(しずてつ)。「静鉄グループ」の中核企業であり、本体や静鉄グループ各社で索道事業(日本平ロープウェイ)、バス・タクシー事業、不動産事業、ホテルなどを展開する。
連結売上高が1,000億円を超えている日本の鉄道事業者は中小私鉄ではわずか3社しかない。残る2社は1位の遠州鉄道(遠鉄)と2位の大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)で、静岡鉄道は3位である。
キャッチコピーは「街にいろどりを。人にときめきを。」。 (旧)静岡市の安西地区に集積する製茶問屋から清水港へ輸出用茶葉を軽便鉄道で運ぶ目的で、(旧)静岡鉄道が1907年に設立された(会社としては現在の静岡鉄道とのつながりはない)[7][8]。その後大日本軌道静岡支社の路線となっていたこの鉄道路線を地元有志が買収し、1919年に駿遠電気として設立された[7]。1923年に静岡電気鉄道に社名変更し[7]、1943年、藤相鉄道・中遠鉄道・静岡乗合自動車・静岡交通自動車を統合して静岡鉄道となった。 静岡電気鉄道時代の1923年から1930年上期に至るまでは、相当な放漫経営であったという[9]。同社専務の熊沢一衛は四日市製紙(現在の王子エフテックス)・四日市銀行(三重銀行を経て、現在の三十三銀行の一部となった。)の専務を兼任しており、手広く事業活動を行っていたが、1932年に四日市銀行が破綻したため、同専務は所有する静岡電気鉄道の株式[10]を大阪電気軌道(大軌、現在の近畿日本鉄道)に譲渡しようとしたが、大軌は静岡電気鉄道の経営には興味を示さなかったため、大軌の監査役をしていた東京横浜電鉄代表取締役の五島慶太に株式引き受けについての依頼があり、最終的に1941年に東京横浜電鉄の傘下に入ることになった[11]。東京横浜電鉄が東京急行電鉄(東急)となった後、静岡鉄道成立時の初代会長に五島慶太が着任し、東急グループの一員となった。1947年に東急グループを離脱したが、現在も東急が約4%の株式を所有する筆頭株主であるために一定のつながりがあり、現有車両の1000形は東急車輛製造製で、車体等一部の仕様が東急7200系電車に酷似する。また、A3000形も一部の仕様が東急7000系電車に酷似する(ただし、製造は東急車輌製造の事業を継承した総合車両製作所である)。過去には東急(目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄の車両を含む)の中古の車両を購入したこともある。 鉄道路線は現在、新静岡駅 - 新清水駅間11.0kmを結ぶ静岡清水線[5][6]のみである。1950年代には静岡県中南部各地に5路線計100km近くの路線を有していたが、1960年代以降のモータリゼーションの影響により、静岡清水線を除き廃止された。またかつては静岡県中部一帯を営業エリアとする路線バス事業が主力事業となっていたが、子会社を設立して一部の路線を分社化したのち、2002年10月1日には静岡鉄道本体が運営していた全バス事業を、子会社のしずてつジャストラインに分社化した。 乗車カードとしてIC乗車カードのLuLuCa(ルルカ)をグループで展開し、鉄道線やしずてつジャストラインのバスに導入している。同時にPiTaPaも並行導入し、全国相互利用(ICOCA・Suica・PASMO・Kitaca・manaca[注釈 1]・TOICA・はやかけん[注釈 1]・nimoca[注釈 1]・SUGOCA)にも対応している。なお、静岡鉄道としずてつジャストラインで導入していた、磁気式のパサールカードは2014年9月末までに販売を終了[注釈 2]し、2022年7月末で利用終了となった[注釈 3]。 日本民営鉄道協会に加盟している(1973年に一度脱退した[注釈 4]が、その後復帰し、2019年時点では加盟していることが確認できる[12])。 特記がなければ(旧)静岡鉄道・大日本軌道・駿遠電気のトピック。年代しか書かれていないトピックは時期未詳。 特記がなければ静岡電気鉄道のトピック。年代しか書かれていないトピックは時期未詳。
概要
沿革
(旧)静岡鉄道→大日本軌道→駿遠電気
1902年(明治35年) 秋葉馬車鉄道が設立。
1907年(明治40年)(旧)静岡鉄道設立[7]。
1908年(明治41年)
5月18日 辻村(現在の新清水)- 清水町(後の波止場)間の鉄道開業。
7月28日 (旧)静岡鉄道、熱海鉄道、浜松鉄道など8社を統合し、大日本軌道が設立、同社の静岡支社となる。大日本軌道 社章
12月9日 鷹匠町(現在の新静岡駅) - 辻村(現在の新清水駅)間の鉄道開業。現在の静岡清水線。
1911年(明治44年)11月 藤相鉄道が設立。
1912年(明治45年)8月 中遠鉄道が設立。
1915年(大正4年) 藤枝自動車商会が開業。
1914年(大正3年)1月12日 中遠鉄道が開業。
1916年(大正5年) 堀之内軌道運輸のバスが開業。
1919年(大正8年)
5月1日 駿遠電気設立(創立)、大日本軌道静岡支社の事業を継承。駿遠電気 社章
(静岡電鉄が継承)
12月16日 秋葉鉄道が設立。
1920年(大正9年)8月2日 静岡清水線が電化。電気供給事業も開始。
1921年(大正10年)
1月6日 秋葉鉄道が秋葉馬車鉄道の事業を継承し開業。
10月7日 安倍電気、羽衣製氷を合併。
1922年(大正11年)
2月8日 御前崎軌道を堀之内軌道運輸に譲渡。
6月28日 鷹匠町 - 静岡駅前間(静岡市内線)開通。
宮寺商会(のちに、宮寺自動車商会と改称)が開業。
静岡電気鉄道
1923年(大正12年) 静岡自動車が開業。
2月28日 駿遠電気が静岡電気鉄道と改称。
3月12日 秋葉鉄道を合併。秋葉線とする。
1924年(大正13年) 待月自動車商会が開業。
1925年(大正14年)
安倍自動車商会が開業。
5月31日 製氷事業を羽衣製氷所へ譲渡。
7月11日 秋葉線、一部区間の電化運輸開始。
1926年(大正15年)
旭自動車商会、田宮自動車商会、秋葉自動車商会、勝間田自動車、焼津自動車商会、西駿自動車商会、森久自動車商会が開業。
10月25日 秋葉線が全区間電化。
10月31日 狐ヶ崎遊園地を仮開園。
1927年(昭和2年)1930年頃(昭和初頭)の静岡市および清水市の地図。地図上では「静岡電車」と記載されている。
4月1日 狐ヶ崎遊園地を本開園。
11月25日 ちゃっきり節、狐音頭、新駿河節が発表される。
1928年(昭和3年)
宮寺自動車商会、森久自動車商会を買収。
藤相鉄道が、栄輪社を買収。
袋井 - 可睡間に季節営業のバス路線を開業。バス事業の始まり。
1929年(昭和4年)
自動車会社、船舶会社計10社を1941年(昭和16年)にかけて相次ぎ買収。
4月19日 自動車部を設立。
1930年(昭和5年) 藤相鉄道が、焼津自動車商会、勝間田自動車を合併。
1932年(昭和7年)12月1日 身興自動車商会を買収。静岡電気鉄道の直営ではなく、電鉄自動車を設立。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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