静岡県立藤枝東高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度52分36.7秒 東経138度15分42.3秒 / 北緯34.876861度 東経138.261750度 / 34.876861; 138.261750
静岡県立藤枝東高等学校(しずおかけんりつふじえだひがしこうとうがっこう)は、静岡県藤枝市天王町一丁目に所在する県立高等学校。 1924年に静岡県立志太中学校として開校した公立高校。略称は「東高」(ひがしこう)、「藤高」(ふじこう)「藤枝東」(ふじえだひがし)。2年次より、難関大学受験に向けた文理混合・希望制の特別クラス(通称:Sクラス)が設けられている。 文武両道を学校方針として掲げており、志太榛原地区の進学校であるとともに、サッカー部・山岳部をはじめとする部活動も盛んである。初代校長に就任した錦織兵三郎の強い意向で開校時にサッカーを校技に採用した[注 1]ことで、藤枝が「サッカーのまち」と呼ばれる礎を築く[1]。そういった伝統もあり、サッカーの有名校が多い静岡県中部地区の中でも特に有名であり、全国大会の出場も多数(全国優勝10回)。特に長池実
概要
開校時の流れから「サッカーのまち藤枝」の端緒としての色合いが強い校風で、「男子生徒は入学時に全員サッカーシューズ(と柔道着)を必ず購入しなければならない」「年2回行われる校内大会(球技大会)はサッカーを中心として行われる」「冬に開催されるマラソン大会ではサッカー部がスタートの合図を出す」などの伝統が現在も残っている。2009年には人工芝グラウンドが整備され、老朽化・劣化に伴い2018年に改修されている。校庭には1957年の国体の際に昭和天皇観戦のためにスタンドが設置され、現在でも同校OBや地域住民がサッカー部の練習や試合の観覧に訪れている。
他に、サッカー部OBによるスクール活動を母体として2002年に発足したNPO藤枝東FCジュニアユースがある。
1963年に榛原郡川根本町(当時の中川根町)に川根分校が設置されたが、1966年に静岡県立川根高等学校として独立した。
沿革
1923年(大正12年)11月 - 文部省告示第449号を以って設立認可。
1924年(大正13年)4月 - 静岡県立志太中学校として開校。
1926年(大正15年)5月 - 校歌制定。
1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により静岡県立志太高等学校となる。
1948年(昭和23年)9月 - 定時制課程が併設される。
1949年(昭和24年)4月 - 県下高等学校再編に伴い、静岡県立藤枝高等学校と合併して静岡県立藤枝高等学校となる。旧志太高等学校が東教場、旧藤枝高等学校が西教場となる。
1952年(昭和27年)4月 - 静岡県立藤枝高等学校の東西教場を分割し、静岡県立藤枝東高等学校及び静岡県立藤枝西高等学校となる。
1963年(昭和38年)4月 - 川根本町徳山(旧中川根町)に川根分校を設置。
1966年(昭和41年)3月 - 川根分校が静岡県立川根高等学校として独立。
2004年(平成16年)11月 - 創立80周年記念式典挙行。
2014年(平成26年)10月 - 創立90周年記念式典挙行。
部活動の実績
サッカー部(全国大会に於いて)
1931年(昭和6年)- 東京文理科大学主催全国中等学校蹴球大会優勝