静岡ブルーレヴズ正式名称静岡ブルーレヴズ
クラブカラー.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} レヴズブルー
ユニオン日本ラグビーフットボール協会
創設年1984年
本拠地静岡県磐田市
グラウンドヤマハスタジアム
収容人数15,165
代表山谷拓志(強化部長・GM)
監督藤井雄一郎
所属リーグJAPAN RUGBY LEAGUE ONE
ファースト
ジャージセカンド
ジャージ
公式サイト
www.shizuoka-bluerevs.com
静岡ブルーレヴズ株式会社
SHIZUOKA BLUEREVS CO.,LTD種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地438-0002
静岡県磐田市大久保891番地106
設立2021年6月22日
業種サービス業
法人番号7080401025136
事業内容ラグビークラブの運営他
代表者山谷拓志
主要株主ヤマハ発動機100%
外部リンクhttps://www.shizuoka-bluerevs.com/
特記事項:2021年6月23日 、静岡地方法務局浜松支局に登記
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静岡ブルーレヴズ(しずおかブルーレヴズ、英: Shizuoka Blue Revs)は、静岡県をホストエリアとしてJAPAN RUGBY LEAGUE ONEに所属しているラグビーユニオンのチームである。 前チーム名はヤマハ発動機ジュビロ。2022年からのJAPAN RUGBY LEAGUE ONE開幕にともない、株式会社化し、社名・チーム名とも静岡ブルーレヴズとなった[1]。 「青」はアマチュアラグビー部時代からのチームカラーであり、「rev(レヴ)」はモーター(発動機)などの回転数 および その上昇度を示す。チーム公式WEBサイトでは、『変わらない為に変わり続けるという伝統を受け継ぎながら「革新」を恐れない精神を象徴する “Blue” と、困難な目標にワクワクして挑み、高ぶる「情熱」を象徴する “Revs”が、一体として込められています』と説明されている[2]。 ホームスタジアムは、静岡県磐田市内にあるヤマハスタジアム(15,165人収容)[3]。1987年から88年にかけて建設された[1]。サッカーJリーグのジュビロ磐田と共用。 事務所・練習場ともに静岡県磐田市にある。2024年1月19日時点で、ホストエリアの静岡県のほか、湖西市、浜松市、磐田市、袋井市、掛川市、菊川市、川根本町、静岡市、沼津市、西伊豆町とパートナーシップ協定を結んでいる[4]。 公式マスコットは、レヴズ。「富士山の麓の神社に祭られたヤマトタケルが現代に顕現した姿」としている[5]。 2021年7月から五郎丸歩がクラブ・リレーションズ・オフィサー(CRO)を務め、さまざまなプロモーション活動を行っている[6][7][8]。 2023年11月27日、エコパスタジアムを拠点とする女子7人制チーム「アザレア・セブン」を運営する一般社団法人アザレア・スポーツクラブと、ゴールドパートナー契約を締結。普及活動やスクール運営などにおいて連携を強化する[9]。 出典[1]
概要
歴史
1982年、ヤマハ発動機株式会社磐田本社に勤務する26名の社員が「ヤマハ発動機ラグビー同行会」を結成[1][10]。
1984年4月、ヤマハ発動機株式会社ラグビー部に名称変更し、創部[1]。
1987年、静岡県社会人2部リーグ出場。磐田市大久保のヤマハ発動機総合グラウンドにラグビー専用グラウンドを建設、現在のヤマハスタジアムとなる。
1988年、静岡県社会人2部リーグ出場。静岡県社会人1部リーグへの入替戦で勝利し、静岡県社会人1部リーグに昇格。初代代表に中野一良
1989-90シーズン - 第42回全国社会人ラグビー大会東海北陸地区予選出場。東海社会人Bリーグ(2部)の入替戦に出場するも敗退。その後開かれた関西社会人ラグビーCリーグ(3部)に勝ち上がり、関西社会人ラグビーCリーグに昇格
1990-91シーズン -関西社会人ラグビーBリーグに昇格。
1993年、永易均
1994-95シーズン - 第47回全国社会人ラグビーフットボール大会初出場。
1995年、ラグビー部専用独身寮「豊田寮」完成。
1996年、第49回全国社会人ラグビーフットボール大会出場。
1997年、関西社会人ラグビーAリーグに昇格。第50回全国社会人ラグビーフットボール大会出場。
1999年度 - 花岡伸明を監督に招聘。2001年度は、花岡伸明がゼネラルマネージャー、ケビン・シューラーがヘッドコーチ。
2001年、第53回・第54回の全国社会人ラグビーフットボール大会出場。
2002-03シーズン - 関西社会人ラグビーAリーグ初優勝を果たす。第55回全国社会人ラグビーフットボール大会出場、ベスト8。
2003-04シーズン - ジャパンラグビートップリーグが開幕し参入。チーム名を「ヤマハ発動機(愛称:ジュビロ)」として参戦し、3位[11]。国体で初優勝。
2004年、第41回日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)準決勝進出。トップリーグで2位。2004年度はグラント・バティがヘッドコーチ就任。
2005年、マイクロソフトカップ準優勝。日本選手権出場。
2005年4月1日、Jリーグからの許諾を得て、それまでの(愛称:ジュビロ)の括弧くくりを外すことが認められ「ヤマハ発動機ジュビロ」とチーム名を変更。
2006年、トップリーグ3位。
2007年、マイクロソフトカップで準決勝進出。第44回日本選手権で準決勝進出。
2009年、ケビン・シューラーが再びヘッドコーチに就任。
2010年度よりチーム編成を見直し、ヤマハ発動機正社員の選手のみで活動する方針を固めた[12]。堀川隆延が2年ぶり2度目の監督就任。
2011年、清宮克幸監督就任。2018年度まで務める。
2012年、第49回日本選手権に5年ぶり出場。
2014-15年シーズン - トップリーグ4位に入り、8年ぶりにトップリーグプレーオフに出場し、決勝でパナソニックに敗れた。
2015年2月28日、第52回日本ラグビーフットボール選手権大会(日本選手権)において初優勝。
2016年、トップリーグで準優勝。
2017年、トップリーグ3位。第55回日本選手権でベスト4。
2018年、第56回日本選手権準決勝進出、トップリーグ3位。
2019年11月、約2週間フランス遠征を行う[13]。
2019年度 - 堀川隆延監督就任(3度目)。
2020年度 - 大久保直弥をヘッドコーチとして招聘。