青葉山公園
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青葉山ろく公園」とは異なります。

青葉山公園
Aoba-yama Park
伊達政宗騎馬像(2004年10月)
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分類都市公園 > 基幹公園 > 都市基幹公園 > 総合公園
所在地日本宮城県仙台市青葉区川内1-2 ほか
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度15分17.1秒 東経140度51分25.1秒 / 北緯38.254750度 東経140.856972度 / 38.254750; 140.856972座標: 北緯38度15分17.1秒 東経140度51分25.1秒 / 北緯38.254750度 東経140.856972度 / 38.254750; 140.856972
面積40.5 ha
設備・遊具仙台城址仙台市博物館仙台国際センターテニスコート四阿(あづまや)、彫像、ベンチ、水飲み場、植栽、照明灯
駐車場有料
バリアフリーバリアフリー公衆トイレ
告示1953年昭和28年)
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昭忠碑の鵄(トビ)像仙台市街の眺望(2004年6月)三の丸の堀でもある長沼(2007年8月)公園の豊かな緑(2007年8月)

青葉山公園(あおばやまこうえん)は、宮城県仙台市青葉区にある都市公園である。仙台市が管理している。青葉山の東端から広瀬川右岸にかけての部分を敷地とし、仙台城(青葉城)の跡地の一部やその堀である五色沼、長沼を園内に含んでいる。また、仙台市博物館仙台国際センターといった公共施設が園内に立地している。仙台城の本丸跡からは仙台の街並みや、遠く太平洋を眺めることができる。
歴史

青葉山公園は、20世紀初頭に仙台城本丸跡が市民に開放されたことを契機として、仙台市が陸軍から青葉山の一部を借用して設置したものである。その後、拡張や整備が段階的に行われたが、その過程では住宅地の公園への転換という複雑な問題を抱えながら進められた。

青葉山は、江戸時代には仙台藩藩主の伊達氏の居城である仙台城があった所である。また、そのふもとから広瀬川にかけての土地には、馬場や仙台藩重臣の屋敷が置かれていた。戊辰戦争を経て、これらの敷地が官軍に占領された後、仙台城の二の丸跡には鎮台第二師団など陸軍の諸施設が設置され、また青葉山のふもとの追廻地区は練兵場や射撃場へと変わった[1][2]

仙台城の本丸は明治時代の初め頃に取り壊されたが[3]、ここに1902年明治35年)に昭忠碑が建立、1904年(明治37年)に宮城縣護國神社の前身である仙台招魂社が設立された。仙台城の本丸跡は宮城県に関わる戦没者を祀る場所へと変化し、市民に開放されることになった。この頃、市民は長沼の南端部から本丸跡へ登坂したが、これが酷い急坂だった。通用の不便を改善するために仙台市は二の丸跡を敷地としていた第二師団に対して、市民が二の丸跡から本丸跡へ登れるように一部の敷地の借用を求めた。この交渉は、仙台市が第二師団に対して門や柵を寄付することを条件に成立した。こうして、陸軍から借用された敷地が青葉山公園として1925年大正14年)10月に開園した。この時の青葉山公園は、大手門や遊歩道などを含む2957坪(約0.98ヘクタール)の公園だった[4][5][6]

太平洋戦争終結後、連合国が進駐して第二師団の敷地を接収したために青葉山公園は事実上の休園状態となった[4]。公園として再開するのは1953年昭和28年)である[6]

戦後の都市計画において、仙台市は1946年(昭和21年)に13箇所の公園と緑地の設置を決定した。この中で青葉山公園は、追廻地区の練兵場跡地を含めて総合運動公園として整備されることが決められた[7]。しかし、追廻地区では戦後間もない時期に住宅営団が住宅の建設を始めていた[8]。公園の整備を進めたい仙台市と追廻地区に居住を続けたい住人は相容れず、この問題は仙台市の戦後処理案件として半世紀以上にわたって残った。詳細は「川内追廻」を参照


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