青葉台駅
北口(2008年3月)
あおばだい
Aobadai
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所在地横浜市青葉区青葉台一丁目7-3.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度32分34.6秒 東経139度31分1.8秒 / 北緯35.542944度 東経139.517167度 / 35.542944; 139.517167
青葉台駅(あおばだいえき)は、神奈川県横浜市青葉区青葉台一丁目にある、東急電鉄田園都市線の駅である。駅番号はDT20。急行・準急の停車駅である。
駅に隣接して、青葉台東急スクエアがある。 1960年に免許された際の仮称駅名は「成合駅(なりあいえき)」であった。これは当時の地名を取ったものである。 但し、実際の駅新設予定地の地名は恩田町であった。成合町は駅より北に離れた箇所にあったが、実は「成合」を名乗る地区は2ヶ所あり、駅設置予定地の北隣も恩田町字成合であった。特に駅設置予定地周辺を古来「恩田成合」と呼び、大山街道上には同名のバス停も設けられている。恩田町は2000年(平成12年)のこどもの国線通勤線化の際、恩田駅としてその名を冠した駅が実現している。 1965年(昭和40年)9月の常務会で「青葉台」に正式決定したが、これは「開発後も緑の豊富な街作りを」との想いから地名によらず命名されたものである。なお、地名も当駅開業翌年の1967年(昭和42年)に駅名を採って青葉台となっている。 傾斜地に建設されているため、東側は掘割式、西側は高架式になっている。東側は人工地盤で覆われており、上部は青葉台東急スクエアの駐車場及びフィットネス館(アトリオドゥーエ青葉台)となっている。 改札口は、ホーム下1Fにある「中央口」と、下りホームに直結する「スクエア口」(営業時間10:00 - 22:00)の2か所である。 トイレは改札内コンコースに1ヶ所あり、多機能トイレも併設されている。 当駅はあざみ野管内(あざみ野駅 - 当駅間)にあり、急行停車駅でありながら駅長が配置されていない駅である。以前は、青葉台管区が存在していたため駅長が配置されていた。 番線路線方向行先 2022年度(令和4年度)の1日平均乗降人員は91,922人である[東急 1]。 田園都市線の駅では長津田駅に次いで第6位。他路線と接続しない東急電鉄の単独駅では最も乗降人員が多く、同線駅長不在駅の中でも最多である。 近年の1日平均乗降・乗車人員の推移は以下の通り。 年度別1日平均乗降・乗車人員[* 1]年度1日平均
歴史
1966年(昭和41年)4月1日:開設[1]。
1990年(平成2年) - 1992年(平成4年):駅舎改築、駅ビル新築、バスターミナル改良工事を実施。
2000年(平成12年)
9月5日:下り中央林間方面ホーム長津田寄りにスクエア口新設。これに伴い、従来の改札口は「中央口」、東急スクエア連絡改札口は「スクエア口」と言う名称が付与される。
11月:駅ビル(青葉台リクレ)が青葉台アネックス・青葉台東急百貨店と合わせて「青葉台東急スクエア」として開業[2]。
2022年(令和4年) 8月15日:定期券売り場営業終了[3]。
駅名の由来
駅構造
のりば
1 田園都市線下り長津田・中央林間方面[4]
2上り渋谷・押上〈スカイツリー前〉・春日部方面[5]
設備
階段・エスカレーター・エレベーター
バリアフリー対応
ワイド改札口(各改札口に1か所ずつ)
スロープ(改札外)
タクシー乗り場:都市交通管轄である。
一部停車区域(一般車): タクシー乗り場の横にあり送迎に利用可能。
その他
電話ボックス
テコプラザ
自動体外式除細動器 (AED)
横浜市立図書館返却ポスト(改札外)
しぶそば(改札内):かつて、喫茶店アートコーヒーがあった場所に開店した。
コンコースには、茂木弘行の彫刻作品「ゆめ」が設置されている[6]。
利用状況
乗降人員[* 2]1日平均
乗車人員[* 3]出典
1980年(昭和55年)20,726
1981年(昭和56年)22,468
1982年(昭和57年)25,337
1983年(昭和58年)30,050
1984年(昭和59年)33,419
1985年(昭和60年)35,981
1986年(昭和61年)38,973
1987年(昭和62年)40,423
1988年(昭和63年)42,600
1989年(平成元年)44,340
1990年(平成02年)45,841
1991年(平成03年)48,085
1992年(平成04年)49,884
1993年(平成05年)51,385
1994年(平成06年)51,137
1995年(平成07年)51,489[神奈川県統計 1]
1996年(平成08年)51,498
1997年(平成09年)50,959
1998年(平成10年)50,652[神奈川県統計 2]
1999年(平成11年)50,487[神奈川県統計 3]
2000年(平成12年)50,721[神奈川県統計 3]
2001年(平成13年)49,509[神奈川県統計 4]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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