青空
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ジャンル文芸雑誌、同人雑誌
読者対象文学愛好者
刊行頻度月刊、発行日不定
発売国 日本
言語日本語
定価30銭(1号-2号、4号-10号)
15銭(3号)、25銭(11号-14号)
20銭(15号-28号)
出版社自費出版
発行人青空社
編集長外村茂(1号-7号)
淀野隆三(8号-12号)
梶井基次郎(13号-28号)
編集当番浅沼喜実
『青空』(あおぞら)は、日本の文芸雑誌。1925年(大正14年)1月に、東京帝国大学在学中の梶井基次郎、中谷孝雄、外村茂らが創刊した同人雑誌である[1]。誌名は、快晴の青空を見たことと、武者小路実篤の詩の一節「さわぐものはさわげ、俺は青空」にちなんで付けられた[2][3][4][5]。梶井基次郎の代表作となる「檸檬」「城のある町にて」が、活字で掲載された最初の出版雑誌として知られる[3][5][6]。
参加した同人には、稲森宗太郎、淀野隆三、飯島正、三好達治、北川冬彦、阿部知二、古澤安二郎などがいた[3][5][7]。アマチュアの同人雑誌として創刊されながらも、多様なメンバー構成の点などからも近代文学史の中で果たした役割は大きく、意義のある雑誌である[3][8][9]。 明治の後期から東京帝国大学系の同人雑誌『新思潮』などはあったものの、大正期になり民衆芸術運動や大正教養主義の影響で、中学・高校生から文学活動を始める青少年が増え始め、『白樺』の衛星誌や、京華中学高等学校出身者が1921年(大正10年)に創った『現代文學』などが発刊された[5]。 これらの先駆的な流れから、数多くの同人雑誌が発行され、旧文壇的な商業主義とは違う「リトル・マガジン」を目指そうとする作家志望のアマチュアの若者たちの気運が高まっていた[1][5]。 『青空』が創刊される前年の1924年(大正13年)6月には、東京帝国大学文学部の大宅壮一、飯島正、浅野晃らの第七次『新思潮』や、プロレタリア文学系の青野季吉、葉山嘉樹、平林初之輔の『文藝戦線』、10月には、川端康成、横光利一、片岡鉄兵ら新感覚派の『文藝時代』が創刊されるなど、文壇に近い新人作家らの間でも新たな文学的動きが活発な時期であった[3][4][5]。 この1924年(大正13年)には他にも、白井喬二らの『大衆文藝』、木村庄三郎らの『青銅時代』(1月)、富永太郎、永井龍男、小林秀雄らの『山繭』(12月)が創刊された[1][3][5]。 翌1925年(大正14年)は、梶井基次郎らの『青空』(1月)の他、藤沢桓夫、神崎清らの『辻馬車』(3月)、尾崎一雄らの『主潮』(4月)、中村武羅夫らの『不同調』(7月)、吉行エイスケ、久野豊彦らの『葡萄酒』(8月)、北川冬彦、阿部知二、舟橋聖一らの『朱門』(10月)、1926年(大正15年)には、田畑修一郎、火野葦平らの『街』(4月)、堀辰雄、中野重治らの『驢馬』(4月)などの同人雑誌が次々と創刊された[1][3][5]。
時代背景