青森駅
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青森駅
東口(2024年5月)
あおもり
Aomori


所在地青森県青森市柳川一丁目1-1.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度49分43.87秒 東経140度44分4.89秒 / 北緯40.8288528度 東経140.7346917度 / 40.8288528; 140.7346917座標: 北緯40度49分43.87秒 東経140度44分4.89秒 / 北緯40.8288528度 東経140.7346917度 / 40.8288528; 140.7346917
所属事業者.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

東日本旅客鉄道(JR東日本)

青い森鉄道

電報略号アオ
駅構造地上駅橋上駅
ホーム3面6線
乗車人員
-統計年度-(JR東日本)-2022年-
4,700人/日(降車客含まず)(青い森鉄道)-2019年-
2,326人/日(降車客含まず)
開業年月日1891年明治24年)9月1日
乗入路線 3 路線
所属路線■奥羽本線(JR東日本)
キロ程484.5 km(福島起点)
新青森 (3.9 km)
所属路線■津軽線(JR東日本)
キロ程0.0 km(青森起点)
(6.0 km) 油川
所属路線■青い森鉄道線(青い森鉄道)
キロ程121.9 km(目時起点)
東京から739.2 km
筒井 (4.4 km)
備考

共同使用駅(JR東日本の管轄駅)

直営駅管理駅・一部業務委託)

みどりの窓口

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青森駅
あおもり
Aomori

(113.0 km) 函館
所属事業者北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線青函航路青函連絡船
キロ程0.0 km(青森起点)
開業年月日1908年(明治41年)3月7日
廃止年月日1988年昭和63年)3月13日[* 1]
^ 1988年(昭和63年)6月3日から同年9月19日まで暫定(復活)運航。

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西口(2023年10月)

青森駅(あおもりえき)は、青森県青森市柳川(やなかわ)一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・青い森鉄道である。
概要

青森県の県庁所在地・青森市の中心駅(ターミナル駅)である。かつては東京から伸びる鉄道幹線である東北本線および奥羽本線の終着駅であり青函連絡船との乗換駅だった[1][2][3]。1988年(昭和63年)の青函トンネル開通に伴う青函連絡船廃止と旅客輸送の海峡線経由化、2010年(平成22年)の東北新幹線開通に伴う東北本線の第三セクター化、さらには2016年(平成28年)の北海道新幹線開業に伴う海峡線経由の旅客輸送の新幹線への移行を経て、「北海道との連絡口としての役割から、三内丸山遺跡世界遺産白神山地への玄関口とその機能は変貌を遂げる駅」として、東北の駅百選に選定されるに至っている[1][2][3][4]。なお、東北本線八戸駅 - 青森駅間の第三セクター化に伴い、在来線における所属線は東北本線から奥羽本線に変更されている[5]

2023年6月現在、乗り入れている路線はJR東日本の奥羽本線と津軽線、青い森鉄道の青い森鉄道線の合計3路線であり、いずれの路線も当駅が起終点となっている(津軽線のみ起点、奥羽本線、青い森鉄道は終点)[1][2][3]

JR青森駅の事務管コードは▲211066、青い森鉄道青森駅の事務管コードは5461246である[6]
歴史青森駅と青森桟橋(1975年)国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

当駅は古くは青函連絡船の本州側玄関口であり、北海道と本州をつなぐ、全国的な交通網の要であった。その情景は歌謡曲津軽海峡・冬景色」の歌詞にもなった。

1988年(昭和63年)に青函トンネルが開通すると、青函連絡船はその役目を新たに開業した津軽海峡線に譲って廃止され、津軽海峡線の快速「海峡」の始発・終着駅の役割を果たしていた。

その後、2002年(平成14年)の東北新幹線盛岡 - 八戸間開業時に快速「海峡」が廃止され、特急「白鳥」・「スーパー白鳥」の停車駅(一部始発および終着あり)となったことから、昼間の当駅始発・終着列車は減り、さらに2010年12月4日の東北新幹線新青森開業後は、東北本線八戸 - 当駅間は青い森鉄道に経営移管され、特急「白鳥」・「スーパー白鳥」の起終点は八戸駅から新青森駅に変更され[注 1]、多客期の臨時特急「白鳥」の午前の1往復のみ当駅始発となった。

そして、2016年(平成28年)の北海道新幹線開業に伴い、青函トンネル経由の旅客列車はすべて新幹線へ移行することになったため、特急「白鳥」・「スーパー白鳥」をはじめとした津軽海峡線の旅客列車はすべて運行を終了した。これにより、当駅から直接北海道方面へ向かう旅客列車は無くなり、北海道への玄関口としての役割は新青森駅に譲り渡された。

かつては1番線側に青函連絡船の岸壁があり、連絡船の車両甲板につながる可動橋があった。また、当駅から安方を経て埠頭方面への臨港線(青森県公用臨港線)もあり、貨車の入れ替え作業がホームから頻繁に見られた。連絡船への貨車積み込みのため、構内の線路は岸壁に向かって北側に伸びた構造になっている。
年表

1891年明治24年)9月1日日本鉄道の駅として開業。この当時は、玄関が安方通りに面していた。なお、1番列車は、前日17時45分に上野駅を出発し、当駅に当日17時10分に到着した列車だった。また、当時の運行ダイヤは、下り列車が上野14時45分発青森17時10分着、上り列車が青森12時50分発上野10時10分着の1往復の運行だった[7][注 2]

1906年(明治39年)

9月:この頃の駅舎改築により、玄関が新町通り側に移動する(『新青森市史』資料編6 口絵解説による)。

11月1日:国有化[8][9]


1908年(明治41年)3月7日:帝国鉄道庁直営の青函連絡航路が開設され、青函連絡船運航開始。

1926年(大正15年)11月:貨物ホーム、操車場が完成。旅客と貨物ホームが分離[10]

1944年昭和19年)4月1日:倉庫営業開始[11]

1948年(昭和23年):西口設置。

1959年(昭和34年)12月25日:4代目東口駅舎が竣工。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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