青森県立青森高等学校
[Wikipedia|▼Menu]

青森県立青森高等学校
正面玄関
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度48分32.1秒 東経140度46分1.9秒 / 北緯40.808917度 東経140.767194度 / 40.808917; 140.767194座標: 北緯40度48分32.1秒 東経140度46分1.9秒 / 北緯40.808917度 東経140.767194度 / 40.808917; 140.767194
過去の名称【男子校】
青森縣第三中學校
青森縣立第三中學校
青森縣立青森中學校
青森県立青森高等学校
【女子校】
青森縣立第三高等女學校
青森縣立青森高等女學校
青森県立青森女子高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 青森県
併合学校青森県立青森高等学校
青森県立青森女子高等学校
校訓自律自啓・誠実勤勉・和協責任
設立年月日1900年明治33年)9月11日
創立記念日9月11日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学校コードD102210000013
高校コード02101G
所在地030-0945
青森県青森市桜川八丁目1番2号
外部リンク ⇒公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

青森県立青森高等学校(あおもりけんりつ あおもりこうとうがっこう, : Aomori Prefectural Aomori High School)は、青森県青森市桜川八丁目にある県立高等学校。通称「青高(せいこう)」。
概要
歴史
1900年明治33年)創立の青森懸第三中學学校の後身「青森県立青森中学校」(旧制中学校)と1907年(明治40年)創立の「青森県立青森高等女学校」の2校を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革でそれぞれ「青森県立青森高等学校」(男子校)、「青森県立青森女子高等学校」となった後、1950年(昭和25年)にこの2校が統合され、男女共学の「青森県立青森高等学校」となった。創立年は旧制中学校の1900年(明治33年)としている。2020年(令和2年)に創立120周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程普通科のみ。
定員
2008年度(平成20年度)から1学年ごとの定員は40人×7学級となり、約840名が在籍。2021年度 (令和3年度) から募集人員が40人×6学級の240人となり、2021年4月現在約800名が在籍。
校訓
綱領として「自律自啓」「誠実勤勉」「和協責任」の3つを掲げており、中でも「自律自啓」は最も重視されており、体育館にも掲示されている。
校章
背景は旧制中学校時代の校章を継承しており、「中」の文字と「∞(無限を表す記号)」を組み合わせ図案化したもの。その上に「高」の文字を配している。「高」の部分が金色、「無限の徽章」部分がねずみ銀色と制定されている。「無限の象徴」と呼ばれている。スクールカラーは古代紫色。
校歌
タイトルは「無限の象徴」。作詞は横山武夫、作曲は木村繁による。校歌以外にも、「団歌」「甲田が麓の丈夫(こうだがふもとのますらを)」、「合浦の雄」、「野球応援歌」、「凱歌」、「選手を送る歌」、「応援団歌」、「出陣を謳ふ」、「コチャエ節」、「金龍東に立ちのぼり」、「よい敵よい敵」、「Pan the Victory」などがある。
校地
学校敷地は、八甲田雪中行軍遭難事件で犠牲になった青森歩兵第5連隊の行軍出発のための集合場所であった。21世紀に入り三角形の校舎を新設するまでは、5連隊時代のものをそのまま正門として使用していた。現在では校舎新築に伴い新たな正門が設置されているが、この正門は残されている(但し、車両の通行はできない)。
進路
卒業後は難関国公立大学及び有名私立大学など上級学校へ進学する者が多い。
沿革
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代


1900年(明治33年)
9月11日 - 「青森県第三中学校」[注釈 1]が青森市大野字長島に開校。

1909年(明治42年)- 「青森県立青森中学校」と改称。

1912年(明治45年)- 青森市大字造道字浪打100の6(現在の合浦公園青森市営野球場付近)に移転。

1945年(昭和20年)7月28日 - 青森空襲により校舎を焼失。青森市立第一中学校の一部と大湊海軍施設部工員宿舎を借用し、分散授業を実施。

1946年(昭和21年)6月 - 旧歩兵第5聯隊兵舎を校舎(筒井校舎)とする。青森県立高等女学校と同居。

1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)

旧制中学校の生徒募集を停止。

新制中学校を併設し(名称:青森県立青森中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。

併設中学校はあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。

旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として収容。


1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校「青森県立青森高等学校」(男子校)が発足。

旧制中学校卒業生(希望者)を新制高校3年として、旧制中学校4年修了者を新制高校2年として編入。

併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。

併設中学校は継承され(名称:青森県立青森高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。


1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。

高等女学校・新制高等学校(女子校)時代


1907年(明治40年)2月15日 - 「青森県立第三高等女学校」[注釈 2]が青森市浦町字野脇(現・青森市文化会館の敷地)に開校。

1909年(明治42年)- 「青森県立青森高等女学校」と改称。

1911年(明治44年)- 青森県女子師範学校を併置。

1943年(昭和18年)- 青森県女子師範学校が官立(国立)移管により青森師範学校女子部に昇格したため、組織を分離。

1945年(昭和20年)7月28日 - 青森空襲により校舎を焼失したため、青森市造道国民学校校舎の一部を借用し授業を再開。

1946年(昭和21年)6月 - 旧歩兵第5聯隊兵舎を校舎とする。旧制青森県立青森中学校と同居。

1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)

高等女学校の生徒募集を停止。

新制中学校を併設し(名称:青森県立青森高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学2・3年生として収容。

併設中学校はあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。

高等女学校3・4年修了者はそのまま高等女学校4・5年生として収容(4年で卒業することもできた)。


1948年(昭和23年)

4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「青森県立青森女子高等学校」が発足。

高等女学校卒業生(希望者)を新制高校3年として、高等女学校4年修了者を新制高校2年として編入。

併設中学校卒業生を新制高校1年として収容。

併設中学校は継承され(名称:青森県立青森女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。


この年 - 浪打校舎が完成し移転。


1949年(昭和24年)3月31日 - 最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。

新制高等学校(男女共学)


1950年(昭和25年)4月1日 - 高校三原則に基づく公立高校再編が実施される。

青森県立青森高等学校(男子校)と青森県立青森女子高等学校の2校が統合され、「青森県立青森高等学校」(現校名)が発足。

当面の間、旧・青森高等学校校舎を筒井校舎、旧・青森女子高等学校を浪打校舎として2校舎体制をとる。

組織的には統合されたものの、この時点では校舎による男女別学(男女併学)であり、まだ完全な男女共学ではなかった。


1951年(昭和26年)4月1日 - 浪打校舎(旧・女子高校舎)を青森県立青森商業高等学校に譲渡し、全生徒を筒井校舎に収容。

男女混合の学級を編成し、完全な男女共学を開始する。


1970年(昭和45年)9月11日 - 新校舎が完成し移転。

1980年(昭和55年)- 創立80周年を迎える。

それまで旧青高女OGの「対等の統合である」という心情を考慮し「統合?周年」と数えられていたが、この年より「創立?周年」としてカウントされる。


1982年(昭和57年)- 修学旅行が一時取り止めになる(大学受験への影響や個人で行ける時代にあえて行う事への疑問などによる)。

1989年(平成元年)3月9日 - 第2体育館が完成。

1996年(平成8年)- 青森県教育委員会による入学試験での男女枠撤廃に伴い、本校でも入試での男女枠が撤廃される(撤廃以前は、学年における男女比がおよそ3:1であった)。

2000年(平成12年)- 創立100周年を記念し、柔道剣道場、屋内練習場(通称:無限ドーム)が完成。

2002年(平成14年)

4月 - 2学期制に移行。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:68 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef