青森県立弘前高等学校
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この項目では、新制の公立高等学校について説明しています。旧制の官立高等学校については「弘前高等学校 (旧制)」をご覧ください。

青森県立弘前高等学校
鏡ヶ丘記念館(旧青森県尋常中学校本館)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度35分43.4秒 東経140度28分2.7秒 / 北緯40.595389度 東経140.467417度 / 40.595389; 140.467417座標: 北緯40度35分43.4秒 東経140度28分2.7秒 / 北緯40.595389度 東経140.467417度 / 40.595389; 140.467417
過去の名称青森県中学校
青森県尋常中学校
青森県第一尋常中学校
青森県第一中学校
青森県立第一中学校
青森県立弘前中学校
国公私立の別公立学校
設置者 青森県
学区全県学区
秋田県の一部[注釈 1]
校訓誰人天下賢(校訓は存在しないが、校訓と同等に扱われている)
設立年月日1884年02月13日
創立記念日10月06日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学校コードD102210000040
高校コード02107F
所在地036-8558
青森県弘前市新寺町1-1
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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青森県立弘前高等学校(あおもりけんりつ ひろさきこうとうがっこう、Aomori Prefectural Hirosaki High School)は、青森県弘前市新寺町に所在する県立高等学校。略称「弘高(ひろこう)」

「ひろこう」は校歌にも歌われ、応援などにも使われる伝統的な略称である。しかし青森県立弘前工業高等学校の略称も「弘工(ひろこう)」と同じ音であるため、区別のために「ひろたか」「たか」「たが」と呼ばれる場合もあるが、俗称であり一般的に認められているものではない。
概要
歴史
1884年創立の「青森県中学校」(
旧制中学校)を前身とする。当初は青森新町(現・青森市)に開校。1889年弘前市元寺町に移転、1893年弘前市新寺町の現在地に移転。5回の改称を経て1948年の学制改革により新制高等学校「青森県立弘前高等学校」に昇格し現在に至る。2023年に創立140周年を迎える。
設置課程・学科・定員
全日制課程 普通科 1学年定員240名(6学級)かつては通信制課程も有していたが2002年03月31日に廃止された。
校訓
存在しない[1]が、実質的な校訓のような言葉として「誰人天下賢」が管理棟や第一体育館などに飾られてある。これは、弘前出身のジャーナリスト、陸羯南五行絶句『名山出名土 此語久相伝 試間巌城下 誰人天下賢』の最後の部分から取ったもの。
教育目標


人間像 - 持って生まれたものを深くさぐって強く引き出す人

努力目標 - 「自学自習」・「規律ある自由」・「体力の増進」

重点目標 - 「授業の充実」・「高い理想と努力の継続」・「学習と部活動等の両立」・「逞しい心身の育成」

校章
官立弘高大鵬の意匠を継承し、1948年の新制高校発足時に制定。1953年に現在のデザインに改定された。八稜鏡[2]と大鵬の絵を組み合わせたものを背景にして、校名の「弘高」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は相馬俊介、作曲は木村繁による。歌詞は2番まであり、両番に校名の「弘高」が登場する。
同窓会
「鏡ヶ丘同窓会」(鏡ヶ丘の読みは「かがみがおか」)と称している。
沿革
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代


1884年

8月20日 -
東津軽郡青森新町(現・青森市)に「青森県中学校」(旧制中学校)が創立。

10月06日 - 開校式を挙行。初代校長に一町田大江が就任。


1886年09月 - 中学校令の施行により、「青森県尋常中学校」と改称。

入学資格を中学予備科を中学校予備の小学校等を卒業した12歳以上の男子、修業年限を5年(現在の中1?高2)とする。


1889年05月01日 - 弘前市元寺町に移転[注釈 2]

1892年06月20日 - 火災により校舎が全焼。津軽産業倶楽部を借用し仮校舎として移転。

1893年

9月28日 - 八戸分校を設置。

12月12日 - 弘前市新寺町に新校舎が完成し移転を完了。


1895年

3月16日 - 尋常中学校の新設(八戸分校が第二尋常中学校として独立)により、「青森県第一尋常中学校」と改称。

4月01日 - 八戸分校が分離し、青森県第二尋常中学校として独立。


1899年04月01日 - 中学校令の改正により、「青森県第一中学校」と改称(「尋常」を除く)。

1902年06月01日 - 「青森県立第一中学校」と改称(県の後に「立」が加えられる)。

1908年09月23日 - 皇太子が来校。

1903年04月01日 - 「青森県立弘前中学校」と改称。青森県立第四中学校を統合し、木造分校とする。

1905年03月31日 - 木造分校を廃止。

1906年04月 - 定員を700名に増員。

1910年04月 - 定員を800名に増員。

1915年04月 - 定員を1,000名に増員。

1933年10月06日 - 創立50周年を記念し、財団法人弘前中学校奨学会(現・弘前高等学校奨学会)を創立。

1940年04月 - 定員を1,250名に増員。

1943年04月01日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。

1949年- 勤労動員が開始。

1945年

3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行の前倒しが行われ、5年生と4年生の合同卒業式を挙行。

本来であれば、中等学校令の施行された1943年入学生が4年を修了する1947年03月に修業年限4年が施行されることとなっていた。しかし戦況の悪化などにより、中等教育令施行以前の1941年入学生にも修業年限4年(修業年限の1年短縮)が前倒して行われることとなった。そのため1940年入学の5年生と1941年入学の4年生の合同卒業式が挙行された。


3月02日 - 定員を1,400名に増員。

4月01日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続された。

8月 - 終戦。

9月 - 授業を再開。


1946年04月 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。

1947年04月01日 - 学制改革六・三制の実施)が行われる。

旧制中学校の募集を停止。

新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。

併設中学校は経過措置のためあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみであった。

旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。


1948年

4月01日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校が廃止され、新制高等学校「青森県立弘前高等学校」(男子校)が発足。

通常制普通課程の生徒定員を1,200名とする。また通信教育部を併置し、定員を200名とする。

旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。

併設中学校を継承し(名称:青森県立弘前高等学校併設中学校)、在校生が1946年に旧制中学校へ最後に入学した3年生を残すのみとなる。77

大鵬の校章を制定。


10月06日 - 鏡ヶ丘同窓会を創立。


新制高等学校(男女共学)


1949年03月31日 - 併設中学校を廃止。

1950年04月01日 - 女子生徒(16名)が初めて入学し、男女共学を開始。

1952年 - 「自治会誌」を創刊。

1953年 - 第1回ねぷた運行が行われる。校章の鵬が現在のものにリニューアル。

1958年

8月31日 - 本館の移転改築工事により、鉄筋コンクリート造2階建ての鏡ヶ丘記念館が完成。

12月06日 - 管理棟が完成。


1959年04月30日 - 秩父宮妃三笠宮妃が来校。

1961年10月31日 - 通信教育部を通信制課程と改称。

1966年

6月29日 - 第二体育館が完成。

11月27日 -「あゆみ」同窓会が創立。


1971年03月 - 硬式野球部が第43回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に初出場。

1972年12月26日 - 弘高野球部甲子園出場後援会からの寄付により、運動クラブ室が完成。

1973年07月05日 - 鉄筋コンクリート造4階建ての弘高会館(同窓会館)が完成。

1975年

1月27日 - 野球場が完成。

6月30日 - 野球会館が完成。


1978年09月30日 - 野球部後援会鷹揚会からの寄付により、硬式野球部室内練習場が完成。

1979年12月30日 - 財団法人弘前高等学校奨学会からの寄付により、体育準備室と部室が完成。

1980年08月10日 - 運動場を整備。


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