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青森県立八戸東高等学校
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過去の名称青森県立第二高等女学校
青森県立八戸高等女学校
青森県立八戸女子高等学校
国公私立の別公立学校
設置者 青森県
学区全県学区
岩手県の一部[1]
校訓勉学・健康・優雅・協調
設立年月日1901年(明治34年)10月25日
共学・別学男女共学
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
表現科
学期3学期制
学校コードD102210000086
高校コード02111D
所在地〒031-0001
青森県八戸市類家一丁目4番47号
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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青森県立八戸東高等学校(あおもりけんりつはちのへひがしこうとうがっこう, Aomori Prefectural Hachinohehigashi High School)は、青森県八戸市類家一丁目にある県立高等学校。略称「八東」(はっとう)。
概要
歴史
1901年(明治34年)創立の「青森県立第二高等女学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となる。現校名になったのは1950年(昭和25年)。1949年(昭和24年)から男女共学を開始したものの、高等女学校が前身ということで男子の入学生が少なく、1969年(昭和34年)には男子の在籍が0となり女子校となった。36年の時を経て1995年(平成7年)の人文科の設置を機に男女くくり募集が行われ男女共学を再開し、1997年(平成9年)には普通科も男女共学となった。2021年(令和3年)に創立120周年を迎えた。かつては定時制課程を有していたが、1959年(昭和34年)に廃止。男女共学再開のきっかけとなった人文科は2003年(平成15年)に現在の表現科に改編された。
設置課程・学科
全日制課程 2学科
普通科(5学級200名)
表現科(1学級30名)- 普通教科に加えて言語表現、身体表現、映像機器、舞台芸術などに関する専門科目を学習。
校訓
「勉学・健康・優雅・協調」 - 1968年(昭和43年)に制定。
校章
現在の校章は普通科で男女共学を再開した1997年(平成9年)に制定された。ゆりの木の若葉を図案化したものを背景にして中央に校名の「東高」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
1951年(昭和26年)に創立50周年を記念して制定された。作詞は石森延男、作曲は信時潔による。歌詞は3番まであり、最後に校名の「東高校」が登場する。
記念歌「風に」
1991年(平成3年)に創立90周年を記念して制定された。作詞は宇藤敬子、作曲は伊藤千蔵による。歌詞は2番まであり、最後に校名の「東高校」が登場する。
進路
ほとんどの生徒が四年制大学をはじめとする上級学校への進学を目指している。
沿革
旧制・高等女学校時代
1901年(明治34年)10月25日 - 三戸郡八戸町に「青森県立第二高等女学校[2]」が設置される。
1902年(明治35年)
4月1日 - 開校。
4月14日 - 第1回入学式を挙行。
1909年(明治42年)4月1日 - 「青森県立八戸高等女学校」に改称。八戸町立女子実業学校を青森県立女子実業学校として附設。
1919年(大正8年)
1921年(大正10年)4月14日 - 創立20周年を記念して校訓(健全・貞淑・努力)を制定。
1926年(大正15年)4月1日 - 校歌(旧校歌)「寄せ来る波も」と制服を制定。
1929年(昭和4年)4月1日 - 松友会 経営家政研究科(修業年限1年)を設置。
1943年(昭和18年)4月1日 - 高等女学校令が廃止され、中等学校令が施行される。
1944年(昭和19年)
3月31日 - 松友会経営家政研究科を廃止。
この年 - 勤労動員が開始。
1945年(昭和20年)
4月1日 - 学校での授業が停止される。
8月 - 終戦
9月 - 授業を再開。
1946年(昭和21年)
4月1日 - 修業年限が4年から5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)
5月10日 - 松友会経営幼稚園を開園。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
高等女学校の生徒募集を停止。
新制中学校を併設し(名称:青森県立八戸高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
高等女学校3・4年生はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
1948年(昭和23年)
4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「青森県立八戸女子高等学校」が発足。
通常制普通課程を設置。修業年限を3年、定員を600名とする。
高等女学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
併設中学校を継承し(名称:青森県立八戸女子高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に入学した3年生のみとなる。
5月5日 - 開校式を挙行。
1949年(昭和24年)
3月31日 - 併設中学校を廃止。松友会経営幼稚園が閉園。
4月1日 - 高校三原則に基づき、男女共学を開始。男子80名が入学。