青森県立八戸工業高等学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度31分5.65秒 東経141度29分56.3秒 / 北緯40.5182361度 東経141.498972度 / 40.5182361; 141.498972
青森県立八戸工業高等学校(あおもりけんりつ はちのへこうぎょうこうとうがっこう、Aomori Prefectural Hachinohe Technical High School)は、青森県八戸市江陽一丁目に所在する公立の工業高等学校。通称「八工」(はっこう)。
概要
歴史
1944年(昭和19年)創立の「八戸市立工業学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制の工業高等学校となった。1956年(昭和31年)に青森県へ移管され現校名となった。2023年(令和4年)に創立80周年を迎えた。
設置課程・学科
全日制課程(学年制) - 靴ひもの色で学科が区別されている。※( )内は(靴ひもの色,科を表すアルファベット)を表す。
機械科(赤色, M = Machine)
土木科(白色, S = Soil) - 2021年(令和3年)4月に新設。
電気科(黄色, E = Electricity)
材料技術科(青色, K = Kinzoku)
電子科(橙色, D = Denshi)
建築科(黒色, A = Architecture) - 2021年(令和3年)4月に新設。
以下の科は、2021年(令和3年)3月に募集停止、2023年(令和5年)3月に閉科された。
土木建築科(白色, S = Soil) - 2コース(土木コース・建築コース)
情報技術科(緑色, N = Network)
電子機械科(茶色, F = Flexible)
定時制課程(単位制)
工業技術科-2021年(令和3年)に募集停止、2024年(令和6年)3月に閉科された。
校訓
「自主・協調・勤労・創造」
校章
菊の葉の絵を背景にして、中央に「工高」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
作詞は折口信夫、作曲は山田耕筰による。歌詞は3番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
沿革
旧制・工業学校
1944年(昭和19年)4月1日 - 「八戸市立工業学校」(甲種工業学校)が開校。修業年限を4年とする。
八戸市立商業学校に併置される。教育ニ関スル戦時非常措置方策に基づき、商業学校が工業学校に転換されたもの(商業学校は募集停止)。
機械科と工業化学科を設置。校長は商業学校校長の舘山太吉が兼任することとなる。
1945年(昭和20年)
4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
5月1日 - 土木科を新設。
8月 - 終戦。
9月 - 授業が再開される。
1946年(昭和21年)
4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
8月20日 - 八戸市立商業学校との併設を解消。
1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
工業学校の生徒募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、工業学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
工業学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
1948年(昭和23年)
4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、工業学校は廃止され、新制高等学校「八戸市立工業高等学校」が発足。