青森山田中学高等学校
Aomori Yamada Junior and Senior High School2
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度48分14.0秒 東経140度44分57.5秒 / 北緯40.803889度 東経140.749306度 / 40.803889; 140.749306
高等学校公式サイト
中学校公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
青森山田中学高等学校(あおもりやまだちゅうがくこうとうがっこう)は、青森県青森市青葉三丁目に所在する中高一貫の私立中学校・高等学校。1918年創立。なかでもサッカー、卓球、硬式野球、バドミントン、自転車競技、柔道、新体操などの部活動が全国レベルの活躍をしており、多くのスポーツ選手を輩出している。 青森山田高等学校には以下の課程・学科(コース)がある。 青森山田中学校には、以下のコースがある。 サッカー部は、1970年に創部[2]。1989年に田口光久が監督に就任した頃から強化が始まり、1991年には全国高等学校サッカー選手権大会(選手権)と全国高等学校総合体育大会サッカー競技大会(インターハイ)の全国大会に初出場を果たした。 1995年、当時25歳の黒田剛が田口の後任としてサッカー部の監督に就任すると、雪国である青森のハンデを逆手に取り、雪の上での練習(雪中サッカー)と筋力トレーニングを兼ねた雪かきを練習に取り入れるなどして強化を進め[3]、1997年以降の選手権には毎年出場する全国高校サッカー選手権の強豪校となった。
沿革
1918年(大正7年) - 創立者山田きみが青森県青森市新町の自宅で裁縫塾を開く
1919年(大正8年) - 山田高等家政女学校に改称
1931年(昭和6年)3月5日 - 各種学校令による青森家政学園設立許可(青森市長島町156番地)
1933年(昭和8年)3月31日 - 文部大臣の許可を受け、実業学校令による山田高等家政女学校認可(本科4年、家政科2年、研究科1年)(青森市浦町)
1934年(昭和9年) - 家庭科を増設
1948年(昭和23年)3月11日 - 財団法人組織として山田学園設立。山田高等学校認可
1949年(昭和24年) - 中学校を併設
1951年(昭和26年)3月12日 - 財団法人山田学園を学校法人山田学園に改組。高等学校男子部を設置
1962年(昭和37年)1月20日 - 法人名を学校法人山田学園から学校法人青森山田学園と改称。山田高等学校を青森山田高等学校に改称
1977年(昭和52年) - 校舎移転
1981年(昭和56年) - 高等学校に調理科を増設
1982年(昭和57年)1月23日 - 2級自動車整備士養成施設として高等学校に自動車専攻科認可
1985年(昭和60年) - 土木科を土木建築科に改める
1989年(平成元年) - 高等学校の普通科に特進、教養、体育コースを設ける
1998年(平成10年)3月31日 - 青森山田高等学校通信制普通科設置認可
2001年(平成13年)3月30日 - 青森山田中学校を青森市浜田板橋23に認可
2005年(平成17年) - 高等学校の土木建築デザイン科を建築デザイン科に改称
2012年(平成24年) - 高等学校の建築デザイン科、生徒募集停止
2014年(平成26年) - 高等学校通信制普通科の千葉校、東京校、山梨校、静岡校、大分校の生徒募集停止
2022年(令和4年) - 自動車科の募集停止。情報処理科をITビジネス科に改称
2024年 - 青森大学東京キャンパス内に通信制課程東京校が開校。
設置学科
全日制課程
普通科(特進コース・吹奏楽コース・美術コース・演劇コース・キャリアアップコース・スポーツコース)
ITビジネス科
自動車専攻科[1]
調理科
通信制課程
普通科
青森校(本部校;募集区域・青森、岩手、秋田の3県)
札幌校(募集区域・北海道全域)
特進コース
普通コース
著名な部活動
サッカー部